忍者ブログ
  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
Admin*Write*Comment
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




昨日の「第3回 歳三書簡を読む」会には、多数お集り戴き、ありがとうございました。
会場も満席となり、ご参加できなかった皆さまには、大変申し訳ございませんでした。

書簡勉強会

一文字一文字取り上げての解りやすい解説、そして、清水先生ならではの新しい発見もございました。

当日、清水先生は、31人会の会合等、お忙しいスケジュールの中での2時間弱の勉強会ではありましたが、大変充実した会となりました。

先生をお送りする車中でも、会話が尽きず、
「この様な企画を下さり、改めて歳三の手紙を読んでみると発見も多い」
と、言って下さいました。

また次回の勉強会も、是非楽しみにお待ち下さいませ。

主人のブログ「in my life」でも、この勉強会のことが載っていますので、リンクから入ってご覧ください。

拍手[6回]

PR



6月26日(日)、午後2時から、当資料館に於いて
第二回「歳三の書簡を読む会」を開催いたしました。

講師として、新選組研究家の清水隆先生をお迎えして
解読していただきました。

今回、『佐藤福子新選組倶楽部』会員を優先して
募集いたしましたが、予定募集より多い、33名が参加されました。

ご参加された皆様、本当にありがとうございました。

清水先生は、だんだらの羽織で登場されましたが、
その羽織は、NHKテレビで、平成2年11月3日に行われた『クイズ難問即答・新選組』という番組に参加され、優勝した時、盾といっしょに頂いたものだそうです。


最後の決勝戦では、新選組研究家で、大河ドラマ等で時代考証されている、山村竜也氏と争い、延長戦につぐ延長戦で、問題が無くなるという事態に発展したエピソードがあるそうで、やっと決着がついて、清水隆氏が勝ったとのことです。

新選組についての講演の後、歳三書簡の解読が始まりました。

短い手紙ひとつでも、解読するということは、本当に大変なのですね。
一行ずつ、こうこうこれで、つじつまが合うんですよと云われ、
なるほどと感心いたしました。

ただ、理解しにくい箇所がございまして、
2年前ぶりに会って・・・という解釈で、それ以来、会っていないと勘違いされた方も多かったかと思います。
正確には「2年前に彦五郎に会って、また今回もあえて、大変嬉しい」ということになります。

先生が力説されたのは、どんな大学教授であろうが、研究者であろうが、すべて正しいと信じてはならない、名のある人が間違えていたことは多々ありますから、肩書きや名前で、その方の説を信用することは、大変危険なことであるということでした。

そういえば、そういうことって沢山ありますよね。ウンザリいたします。

まだ、シリーズで企画しておりますので、皆様、是非ご参加くださいませ。

ありがとうございました。

拍手[8回]




6月20日は、とても意義深い日です。

新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、
旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日は、新暦では、今日・・・6月20日にあたります。

歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待ちますが、出航したのが新暦の6月23日前後でしょうか。

数日かけての航行で、6月末に横浜に着いたのではないでしょうか。
江戸の質屋に立ち寄ったという記録がございます。
それから身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、3〜4日くらいは掛かるのでしょうね。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日という説があります。
やはり梅雨の時期なのですね。

旧暦と新暦、その年によって、多少の誤差が生じます。
例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。

歳三の命日は、江戸では梅雨の時期だった…なんて考えてみると、当時へ思いを馳せることができるのではないでしょうか。

私は、歳三のすぐ上の姉、のぶの直系の子孫にあたりますが
弟思いだったのぶ。市村鉄之助から歳三の戦死を知らされた時のことを思うと、とても忍びないです。
歳三の冥福をお祈りいたします。

拍手[9回]




4月28日の読売新聞に続き、
5月5日、朝日新聞の多摩版に歳三の飛札便書簡が紹介されました。
沢山のお問い合わせ、誠に有難うございました。

彦五郎との深い絆を物語る、初公開の資料となります。

15日まで展示いたします歳三の愛刀「葵御紋の越前康継」、波紋の美しい刀身と併せて、多くの皆様にご覧頂きたいと存じます。
是非、ご来館くださいませ。

http://mytown.asahi.com/tama/news.php?k_id=14000001105060001

拍手[5回]




先日、大国魂神社に行ったときのことですが
ちょうど結婚式が行われており
雅楽を先頭に、列をなしておりました。

笙、しちりき、と続き、その後が龍笛でしょうか?(もしくは能管)
どう演奏しているのか気になりました。

というのも以前、当資料館に来られたお客様に、雅楽を演っている方がおり
歳三の龍笛について、お話させていただきました処、

「指穴が大きいと思いませんか?」と訊かれ
「はい、そういえば大きいですね。どうしてですか?」
と伺ったところ
「この楽器は、指の第二関節で押さえるんですよ。」
とおっしゃっておりました。

演奏者の指を実際に見てみると、以前お話いただいた通りで、第二関節で押さえておりました。
目の当たりにして、なにかすごい発見をした気分になりました。

(第二関節で指穴を押さえる雅楽奏者)

拍手[3回]




最近、主人が旧暦と新暦のことを調べているみたいで、
本日、6月20日は、旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日にあたるそうです。

新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、旧暦はその年によって、月、日の割り方が異なりますので、毎年、多少のずれが生じます。

例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。

歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待ちますが、出航したのが新暦の6月23日頃でしょうか。

航行に数日掛かったと思われますので、横浜には6月末に着いているでしょう。
江戸の質屋に立ち寄ったという記録もございますので、それから身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、3〜4日くらいは掛かるでしょうか。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月の始めではないでしょうか。
梅雨の真直中だったと思います。

旧暦と新暦を調べて、あの時は現在ではこんな季節だったのだな〜…なんて考えてみると、おもしろいものですね。

拍手[0回]




8月9日(土)から、神奈川歴史博物館にて
『五姓田のすべて-近代絵画への架け橋ー』が開催されます。

それに出展するに当たり、現在、当資料館にて展示中の歳三の肖像画と土方力三郎氏による、祖父・仁の幼少時代のえんぴつ画の2点を、図録製作のための撮影が、昨日9日に行われました。

学芸員・角田氏とカメラマンの方がお見えになりましたが、角田氏の学歴が凄くて、東大、東京芸大、東京芸大大学院を卒業されています。芸大では日本画専攻だったとのこと。

歳三の肖像画については、大変素晴らしく、明治15年に描かれたもので、刀の柄の部分に使われた色は、当時、日本では手に入らない絵の具なので、輸入されたもので、貴重な絵であることが解りました。

この絵は、五姓田芳柳の弟子、松原三五郎の筆によるものですが、慶応3年に五姓田芳柳が日野宿を訪れた足跡があり、彦五郎とも接点があったと思われます。

その後、若き画家、松原たちをバックアップするために、各地を廻ったのでしょうか。彦五郎の元を訪ねたようです。
彦五郎が頼んだのが、あの市村鉄之助が我が家に届けた歳三の写真を元に、肖像画を描いて頂いたようです。
彦五郎はどんな思いで、歳三の肖像画を描いてもらおうと思ったのでしょうか…

名主ともなると、数々の文化人との交流も多く、彦五郎は芸術家たちに理解があったと思われるエピソードです。

また今回初めてお見せした絵が、土方力三郎氏による、祖父・仁の肖像画ですが、母と一緒に写っている写真を元に描いたものです。
空白部分に、仁の晩年の追記があり、文中に『土方力三郎により描かれ…』と書いてありました。
力三郎の絵にはサインがないそうで、唯一『土方力三郎』の名前を見る事ができる大変貴重なものだそうです。
改めて、筆まめな祖父・仁に感謝です。

この絵は、10日程前に発見いたしましたが、2000点以上にも及ぶ我が家の古写真の中に埋もれておりました。
資料を整理しておりますと、探している資料以前に、不思議と新たな発見があります。
ひとり「ワァー!」と声が出てしまう日々です。

新発見資料につきましては、『福子だより』で発表させていただきます。

拍手[0回]




2007年10月26日(金)『柴犬、鉄之助』



10月から歳三の書簡を展示替え致しましたが、お陰様で好評です。歳三が長州征伐に行く前、戦死した時のことを考慮して、京で付けていた日記帳と鉢金を彦五郎に送るとの手紙ですが、「歳三さんがどのような気持ちで彦五郎さんに送ったのかを思うと、胸がいっぱいになります」とファンの方々からの感想をいただきました。今後も歳三書簡の入れ替えを予定しております。私も日々、当家に残る古文書類を調べておりますが、新選組に関する古文書が見つかると、胸が熱くなります。





さて、雄の柴犬が新しく我が家の食客に加わりました。9カ月にしては体も大きく、毛並みも良いのですが、まだ淋しがっております。。名前は『鉄之助』。資料館近くで見かけた時は「鉄ちゃん」とお声をお掛けくださいね。 『ムン』も元気です。

拍手[0回]




週末、家族4人で主人の故郷である栃木に行ってきました。

また、歳三が北上した足跡も辿ってきました。

小山市・常光寺、光照寺、脇本陣
壬生町・安塚、壬生城跡、
宇都宮市・宇都宮城、松が峰門跡、二荒山神社、等です。

宇都宮市の南に位置する壬生町の中心部は、街道沿いもまだ古い建物が残っていて、とても風情のある町でした。

拍手[0回]




彦五郎忌、夢の共演の講演会から20日ほど経ちましたが、皆様からあたたかいお言葉、沢山のメールを届きました。
大変嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。

また、先生方からもお礼のお手紙等をいただきました。
本当に有難たいと存じます。

さて、10月からの展示ですが、歳三のあまり公開されていない手紙を見て頂こうと思います。

釈文も付けますので、ご感想等もお話し頂けたらと存じます。

どうぞ、お気軽に館長までお声をお掛けください。

また、10月にお会いいたしませう。

拍手[0回]



カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新CM
[06/04 筒井陽一]
[06/04 永倉新八]
[04/16 杉本]
[12/14 Jun Amanto]
[11/28 霍瀟かくしょう]
[07/05 霍瀟かくしょう]
[05/20 鉄砲の妻N]
最新TB
プロフィール
HN:
fukuko
性別:
女性
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
Copyright ©   佐藤彦五郎新選組資料館日記『福子だより』 All Rights Reserved.
photo by RHETORIC material by Atelier Black/White Template by Kaie
忍者ブログ [PR]