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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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5月23日(土)
第二回目「小島家古文書の中の新選組記事」の講演会があり
町田市生涯学習センターに行って参りました。
(先月、第一回目は多摩パルテノンでの講演会でした。)

丁度、受付で、近藤勇ご子孫の宮川清蔵氏とご子息の清志氏とご一緒になり、
三人並んで、特等席に案内されました。

宮地正人先生による「新選組の諸問題」の講演は90分に及ぶ熱弁で
聞きごたえのある内容でした。
東大名誉教授ならではの、裏付けをしっかり調べられた、説得力のあるお話しで
私も資料館を運営する立場として、ウソのない史料の展示と説明が、いかに大切であるかを改めて痛感いたしました。



当日は菩提寺のお施餓鬼会でしたが、主人に任せて講演会を拝聴することが出来、本当に良かったと存じました。



現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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17日(日)は「十一代・和泉守兼定」長脇差、当日のみの展示と、
歳三の「越前康継」の刀身展示最終日となりましたが、
沢山の皆さまにご来館いただき、誠にありがとうございました。



また8月頃に展示も考えておりますので、HP等でお知らせしたいと思います。

さて、閉館後、立川で催された山下洋輔コンサートに行って参りました。
私の国立音大の先輩で、尊敬する音楽家のひとりです。
30年以上前、山下洋輔氏のコンサートが母校で行われましたが、
間近で聴いたことを思い出しました。

今回のコンサート、立川・たましんRISURUホール(立川市民会館)は満員でしたが、ラッキーなことに前から2列目でした♪
山下洋輔 新カルテットのメンバーは
山下洋輔(p)、米田裕也(as)、柳原旭(b)、小笠原拓海(ds)です。

昔、坂田明氏と演っていた頃の滅茶苦茶さは影をひそめましたが
若いメンバーとのアンサンブルは、息の合った最高のステージでした。

終了後、少しお話しすることができ、
国立音大の後輩であることや
土方歳三の姉の子孫で、新選組の資料館を運営していることをお伝えしたところ
「私の曾祖父は薩摩藩なんですよ、ご先祖は敵同士ですね(笑)」と言われました。
「でも、どちらも国を良くしようと頑張っていたのです。もう昔のことです(福笑)」

お歳には見えないほど若々しく、品も持ち合わせた素敵な方でした。


(右から2番目が山下洋輔さん、右がサックスの米田裕也さん)

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明日17日(日)は
十一代 和泉守兼定(長脇差し)の刀身を展示いたします。

土方歳三の愛刀・葵御紋の刻印「越前康継」の刀身(展示最終日)
彦五郎の大太刀の刀身(嵐にしやがれロケで、女優の杏さんも持った重さ3kg近い刀)
と併せて、三振りの刀身をご堪能ください。

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ひの新選組まつりの2日間は、たくさんの皆さまにご来館いただきまして、
誠にありがとうございました。
狭い館内ですので、混雑いたしましたこと申し訳ございませんでした。

またお手伝いくださった方々にも感謝いたします。
長女も着物を着て、受付や販売などをやってくれましたが
パティシエならではの新選組クッキーも好評でした。


(2日目は販売担当でした)



(娘が考案した1日目と2日目のクッキー)

資料館前の彦五郎通りにも、パレードがやってきました。

(娘も皆さんと一緒にパチリ!)

この2日間のみ展示の、市村鉄之助さんが届けた「歳三写真」、
また近藤勇さんが彦五郎に手渡した「近藤勇写真」、
それに「彦五郎ガラス写真」がございましたが
多くの方々にご覧いただきました。
ありがとうございました。

写真の劣化をさせないため、写真専用の特別な箱に保存して、また一年間
お休み致します。

また旧暦の5月11日は、歳三の命日です。
新暦に変換しますと、6月20日ですので、約40日ほど後が真の命日になる
そうですが
市村鉄之助さんが、函館の横浜行きの船内で、歳三が一本木の海岸近くで
討ち死したと知らされたのは昼頃だったそうです。

この後、どんな気持ちで当家まで辿り着いたのでしょう。
歳三からの命令で届けたものの中に、この写真がありました。
胴締めから取り出して、差し出したそうです。

彦五郎は、汚れ切った鉄之助さんを先ずお風呂に入れ、
雨戸を閉め切ったあと、八畳の間で鉄之助さんの話しを聞きました。

佐藤家の皆は、鉄之助さんから聞く「歳三の戦死」に悲嘆にくれました。
「歳三が真骨頂を見せた箱舘戦争」「二股口での攻防戦」など、歳三の活躍
ぶりが伝えられましたが、
歳三からの最後の伝言を市村鉄之助さんに託しています。
「われ、日野・佐藤に対し、何ひとつ恥ずることなきゆえ、どうかご安心を」

最後まで、彦五郎、そしてのぶを心に留め、戦っていたと思うと
胸がいっぱいになります。

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9日(土)と10日(日)の2日間は
ひの新選組まつりです。

佐藤彦五郎新選組資料館では
市村鉄之助さんが必死の思いで、佐藤彦五郎に届けた『歳三写真』と
近藤勇さんが彦五郎に手渡しした『近藤写真』
彦五郎のガラス写真を特別展示いたします。

2日間のみの公開でございますので
お見逃しなく。

9(土)10時〜16時 ひの新選組まつり
10(日)10時〜16時 ひの新選組まつり

17(日)11時〜16時 葵御紋越前康継の刀身展示 最終日


現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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土方歳三の愛刀、松平容保公より拝領したとされる、
徳川家三つ葉葵御紋が刻印された「越前康継」刀身を
展示しています。
(展示期間4/19〜5/17)

是非、美しい波紋をご覧下さいませ。




現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP


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昼食の後は「白虎隊記念館」の見学、その後「飯盛山」へ。

次の白虎隊記念館では、早川館長直々にご説明いただきました。
ここでハプニングが・・・
なんと會津史研究家の伊藤哲也氏が待っておられました。
伊藤氏お勧めの資料があるようで、何点か案内いただきました。


(伊藤氏が示された新聞記事。一面に大きく掲載された)


(白虎隊記念館の後、飯盛山へ。雲ひとつない良いお天気でした)

皆さんは、ここを見学した後、飯盛山に行きましたが
早川館長ともお話しするため、私だけここで別行動となりました。

数年前、天寧寺のお墓を掘り返して調査する計画があったそうですが、
あまりにも失礼なことと館長が止めたそうです。
何が入っていても、歳三がこの地にと、松平容保公に請願して建立したお墓ですから、それで充分です。
手を合わせる場所が、会津にあって本当に有り難く思います。

この時、白河市の新選組等歴史研究サクラプロジェクトの安司弘子氏から、携帯にご連絡をいただきました。
丁度、会津でお知り合いの方々をご案内をされていて、すぐ近くに居られたとのこと、時間が合致し、お会いすることができました。
このような偶然は、目に見えぬ力としか言いようがありません。



このあと須賀川駅まで最後のバス乗車となり
私は私用があるため、新選組特別列車「宴」の出発を、須賀川駅駅長さん、駅員さんたちと共にお見送りさせていただきました。


(須賀川駅前にはウルトラマン像が。円谷さんの出身地だとか)

皆さんと別れたあと、私は新幹線に乗るため、新白河駅へ。


(車窓からは、白河小峰城が見えます)

後日、JR東日本の芝元さんにお聞きしましたが
帰りの列車では、皆さん仲良くなり盛り上がったそうで、カラオケルームを解放したそうです。
無事、時刻通り、立川駅、八王子駅に着いたとのこと。

1泊2日の旅、皆さま不安な出発だったことでしょうが、2日間を共有し新選組の絆ですっかり結ばれました。



現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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ひの新選組まつりの準備等のため、会津旅行が中断しておりました。

さて、近藤勇さんのお墓がある天寧寺へ。

天寧寺への入り口「まちに歴史あり」の案内板を読みますと
なんと「近藤勇の遺髪が納められている」と・・・
またお墓にあるライオンズクラブの立て札には
「新選組隊長の首が・・・」とありました。
昨夜の講演会でも少しお話ししました白木の箱、会津小鉄説、何かが入っている様です。


(天寧寺入り口にある看板)


(お墓にある看板には、隊長の首が?)

久しぶりの天寧寺でしたが、道が整備されたように思えました。
墓前では参加者全員が手を合わせて下さいました。


(近藤勇さんの墓)

墓石の大きさから、容保公と歳三ふたりの、近藤勇さんに寄せた熱い気持ちが伝わってきます。


(お墓から見た風景)


次の会津武家屋敷も見応えがありました。



西郷頼母さんのお屋敷は38部屋と、とてつもなく壮大なものでした。


(自刃の間)
会津藩家老西郷頼母の家族はこの部屋で21人が自刃しました。

武家屋敷は広い敷地だったのですが、偶然にも坂本龍馬さんを斬ったとされる佐々木只三郎さんのお墓を見つけることができました。


(佐々木只三郎さんのお墓)

その後、会津とらぞうにて昼食です。
釜飯に会津そば、郷土料理を堪能いたしましたが
そばもコシがあって、美味しくいただくことができ満足でした。

ここ会津とらぞうでは、白虎隊の剣舞も見られました。

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歳三が宿泊したと云われる清水屋旅館。

ここ七日町通りは、明治・大正・昭和初期に建てられた蔵や洋館も多く、レトロな景観を楽しみながら、清水屋旅館跡に到着しました。


(洋館も多い)


(清水屋旅館跡。現在は銀行に)


(歳三の他にも吉田松陰、新島襄・八重も)

歳三がここに入ったのは29日夕刻で、負傷した足を東山温泉で湯治したと伝わっています。

この建物は大正初めまで存続していましたが、昭和初期に取り壊されたとのことです。

バスの駐車場に戻る時、あまりにも素敵なルネッサンス建築物を見てしまい、中に入ったところ、どうぞ見学してくださいとの事。
2階が展示室になっていましたが、内装も素晴らしい造りでした。
大正三年竣工、土蔵三階建ての会津初の洋風建築は「白木屋」さんでした。




(階段も素敵です)


(二回展示室)

バスの集合時間がせまる中、コンビニで福島新聞を購入することに。
今朝、ホテルのロビーで新聞を読んでいたところ
「昨日、天寧寺にて、近藤勇墓前祭が行われた際、宮川清蔵氏と門弟の方々が演武を奉納」の記事とお姿が載っているではありませんか。
これは是非購入して持ち帰りたいと思っておりました。

しかし、この七日町通りのレトロな建物はもっとゆっくり楽しみたいところでした。

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4月26日
二日目は、新選組ゆかりの地をバスで巡ります。
今回の有料施設の見学は、ツアー料金に含まれているとのことです。

ビュッフェのおいしい朝食後、斎藤一さんの墓がある阿弥陀寺へ。



特別公開されている御三階の内部を、ボランティアガイドさんの説明を聞きながら見学しました。
(6月末まで公開しています)
ここでは松平容保公晩年の肖像画と脇差の展示がございましたが、これを見るのは初めてでした。



ガイドさんに脇差の銘をお聞きした処、無銘とのことでした。


(松平容保公の肖像画は初めて見ました)


(斎藤一の墓)

藤田五郎(斎藤一)さんの墓前に皆様と手を合わせました。

『会津戊辰戦争では、西軍が城下に迫ったとき「会津城(松平容保公)あっての新選組、見捨てることは出来ない」と隊士十余名と会津に残り仙台に向かった土方と別れた。』
とあり、会津人として生き抜いた信念が心に響きました。

大河ドラマ「新選組!」の翌年(10年前)、斎藤一忌に土方家とともにご招待を受け、参列させていただきましたが、、斎藤一ファンの皆さんでいっぱいになったことが印象に残っています。


この後、会津新選組記念館へ。



ここは、古い蔵を改築したような館で、1階は「骨董むかしや」2階が資料館になります。
会津藩や新選組、旧幕府軍の資料、戦った新政府軍等の資料がありますが、
その中には芹沢鴨さんの鎖帷子(伝)や、新選組隊士の鉢金などの展示。
会津藩稲富流砲術家の館長の資料館とあって、コレクションした銃がたくさんありました。


(會津の旗をご持参のKさんたちと)


(新選組ポスト。現役で使用されています)

次は、宇都宮で足を負傷した歳三が、療養のため宿泊したと云われる清水屋旅館へ。



現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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