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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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ひの新選組まつり11日(日)に
黒のハイカットのコンバースを、お忘れになった方がいらっしゃいます。
サイズは23cm、ブラックモノクローム
お心当たりのある方は、当資料館宛に
メールかお電話でご連絡ください。

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4月末に入荷した「軌跡 Ⅱ」ですが
当資料館特製紙袋ができました。



1冊、1000円です。
送料100円で、発送も行なっております。

近藤勇、土方歳三、沖田総司等の書簡が、
読み、解説されたもので、原本も載っています。

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土方歳三の愛刀、徳川の葵御紋が刻印された
「越前康継」の刀身の展示は、18日をもって終了いたします。

刀身の中子に刻まれた三つ葉葵御紋、美しい波紋を
是非、ご覧くださいませ。

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父の著「聞きがき新選組」P91
「八王子壷伊勢屋の乱闘で、彦五郎は銃弾が太刀の柄に当り、一命を取り留めたが、死者二名。馬場市次郎(前日野市長の御先祖)と山﨑兼助であった。兼助は菩提寺である大昌寺の梅の樹近くに埋葬した」と書かれている。
私も住職のお母様にお尋ねしたところ、解らず、頭の中で何年も引っかかっておりました。
5月14日、佐彦会の松崎会長からのお誘いがあり、お墓参りが叶いました。
いくつもの偶然が重なり、佐彦会の会員のお一人が兼助のご子孫で、昭和38年頃、ご実家近くのお寺へ墓石を移されたとのことでした。
立派なお寺で、墓石も当時のまま残されており、戒名「先譽勇進信士」山﨑兼輔(やまざきかねすけ)とありました。
ご子孫のお宅で佐彦会メンバー8名、ご子孫3名と共に談笑し、家路に着きました。
翌日、「兼助に関する文書があったはず」と調べておりましたら、彦五郎の覚書「岡引 山﨑兼助後家かめ、扶持米請取」明治元年12月29日の文書を発見致しました。
彦五郎の長男、俊宣の字で兼助の人柄を語った文も添えられており、「正直一途、剛毅活立総テ負ルヲ浴セス狭気ノ風アリキ、日野宿 余ノ貸家二長子三人ニテ永住ノ者ナリ、余ノ家族ヘ同様出入」
江川太郎左衛門代官の命により浪人捕縛の為、腕利きの兼助をメンバーに加え、命を落とした事は、彦五郎もどれ程心を痛めた事か。
岡引 山﨑兼助の人物像を知る事となりました。

次は、横浜歴史博物館へ象山掛け軸出張の話し。

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ひの新選組まつりでは、毎年この時期にお逢いできる方々も多いのですが
特に、常連の隊士コンテストに出場される方が、遠方からお出でになるので
忙しい最中ではございますが
皆様とお話しできることも、楽しみのひとつです。

隊士コンテスト前日の9日金曜日、
函館から南部さんがご訪問くださいました。

函館のイベントの話し、隊士コンテストの話し、
ひの新選組まつりを本当に楽しみにしているようでした。



まつり2日目の終了後、偶然にも新選組ファンの皆様に
ファンが集う処に、娘と共にお招きいただきまして
隊士コンテストでパレードに出場された
皆様にもご挨拶することが出来ましたこと
本当に嬉しい限りでした。

ありがとうございました。

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10日(土)11日(日)の2日間
ひの新選組まつりが催されましたが
大盛況のうちに、無事幕を閉じることができました。

昨日は、高幡不動尊での隊士コンテストで
皆様のパフォーマンスに感激いたしました。

当資料館の前にもパレードが来てくださいましたが
皆様の雄々しい姿を拝見し、嬉しく
お声を掛けさせていただきました。
ご一緒に写真も撮っていただき、ありがとうございました。

パレードにご参加された皆様、
新選組関連施設を見学された皆様
たくさんの笑顔に接することができましたし、
お天気も見方してくれ、良いおまつりになりました。

最後に当資料館にご来館された皆様がたには
心より御礼を申し上げます。
ありがとうございました。

また、かなり混雑した時間帯もあり、
行き届かないところもあったかと存じますが
この場をお借りしてお詫び申し上げます。

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10日、11日、いよいよ「ひの新選組まつり」が開催されました。

私は初日、歳三忌に際し、多くのファンの皆様と共に
お墓で供養させていただきました。

午後は高幡不動尊にて隊士コンテストがあり
審査させていただきましたが
皆様のこのときに賭ける熱気、情熱
素晴らしい演技に心打たれるばかりでした。

ご希望の隊士役に選出された方には
心より
「おめでとうございます。明日は晴れの姿で頑張ってください。」
という言葉を添えて、応援させていただきます。

残念ながら望みの隊士ではなかった方々も
パレードでは、思いっきり楽しんでください。

皆様の堂々としたパフォーマンスを拝見できること
楽しみにしております。

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明日10日(土)と11日(日)の2日間は
ひの新選組まつりです。

佐藤彦五郎新選組資料館では
市村鉄之助が必死の思いで、彦五郎に届けた
『歳三写真」を特別展示いたします。

2日間のみの公開でございますので
お見逃しなく。

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当資料館のHPは既に引っ越しました。
古いHPがそのまま残っていますが、新しいHPをご利用ください。

http://sato-hikogorou.jimdo.com/

平成26年5月4日(日)



本日、開館後間もなく、橋本敏政さんがご来訪されました。
小野路村の名主、橋本道助のご子孫にあたりますが、
小島資料館館長の小島政孝氏の弟さんでもあります。

小島家で採れた筍と「白銀三枚」という発売されたばかりの羊羹をお持ち下さいました。
近藤勇が橋本道助の結婚祝いに、3本の刀と同時に銀三枚を送ってきたエピソードから企画され作られたお菓子です。
橋本道助に嫁いだのは、彦五郎の長女「なみ」で、のぶの第一子ということもあり、歳三は大変可愛がっていました。
なみが出産した際、歳三はお祝いのうたを送っています。


橋本家は小島鹿之助の姉が嫁いだ家で、代々小島家とは関係が深く、
近藤勇や沖田総司、山南啓助が出稽古で橋本家も訪れましたが、歳三はよく遊びに行っておりました。

歳三の大好物、沢庵の話しも有名ですね。

『小野路村(東京都町田市)の橋本道助家に、土方歳三はよく遊びに来た。歳三の大好物は沢庵漬であった。橋本家の沢庵漬は、大変味がよくできていた。
歳三は、橋本家に来ると食事のおかずは、きまって沢庵漬を山のように皿に盛ったのを、ポリポリ、パリパリ、音をたてて食べるのが好きだった。
あるとき、歳三は橋本家の沢庵漬が大いに気に入って、土産に一樽担いで帰ったという』

                  「新選組余話」小島政孝著より







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お待たせいたしました!
「軌跡 Ⅱ」が4月末に入荷いたしました。

日野の古文書の会によって書かれた本です。

近藤勇、土方歳三、沖田総司等の書簡が、
読み、解説されたもので、原本も載っています。


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