「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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11月23日、
心武館面々の御尽力により、拝島大師で奉納の運びとなり、式典に招待され、行って参りました。 晴天に恵まれ、暖かく、絶好の式典の日を迎えました。 京都から、田野氏、司太夫様もお越しになりましたが、心武館は、京都道場も開かれましたので、協力されたのと思います。 小島資料館館長の小島政孝氏と私は、門人ではありませんが、賛助員として寄付させて頂きました。 古い額は、大正二年に奉納されたもので、実に98年ぶりの歴史上記念すべき日に立ち会えました事に、感謝致します。 門人、賛助員一同、大師様にお参りした後、池の前に広く作られた演武場で、武術奉納を小島氏と共に、拝見致しました。 素振りに始まり、切紙の表木刀、陰、試合口、序目録、中極意、最後に大塚館長の居合いまで、実にたっぷり、これ程、長く見せて頂いたのは、初めてでした。 また、とても実戦的であると思えました。 3時からは、大扁額の奉納式が執り行われました。 大扁額が除幕されましたが、旧扁額と同じ大きさで、大変立派なものでした。 これだけの大きさの杉一枚板を、探すことのご苦労が伺えます。 ちなみに、賛助員、右から五人目に小島氏、七人目に私の名前が書かれています。 式典終了後、「フォレスト イン 昭和館」で、パーティーがございました。 小島氏と席も隣りでしたので、たっぷりお話が出来、和やかで、大変楽しい会でございました。 |
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小峰城。
此処は、昨日、主人と参りました。 震災のため、城内は立ち入り禁止ですが、今日は特別に、フェンスの鍵を開けて頂き、中に入らせていただきました。 石垣が崩れたところを、歩き進んでいきましたが、震災の凄さを、正に目の当たりに致しました。この惨状には、胸が痛み、復元も容易ではないのではないかもしれません。 (戊辰戦争で、激戦地となった白河。小峰城は焼失) 脇本陣柳川旅館跡。 此処も、特別に蔵屋敷の中に入れて頂きました。 浅田氏は、ご主人に「襖(ふすま)の下ばりも大切にして下さい。斉藤一の書簡とか、出てくるかもしれない。」と言っておられました。 日野宿本陣の襖の下ばりも、調査したようですが、当時、書いたものが、使われたりするので、今となっては、重要な書物が出てくるということでしょう。 当家にも、まだ手つかずの古文書類もございますが、大切に保管しております。 楽蔵・白河見聞館。 植村氏が、詳しくガイド下さいました。浅田氏は、副総督の会津藩・横山主税をお好きなようでした。 (浅田先生とご芳名帳にサインさせて頂きました。) 昼食は、楽蔵内の和食処「花路」。浅田氏とも、和気あいあいの話しが進み、とても良い昼食会となりました。 色紙にサインをして頂きましたが、大変達筆で、「誠」と入れてくださいました。 当資料館に展示させて頂きます。 昼食後、浅田氏とS氏は、新幹線でお帰りになられるので、お見送りさせて頂きました。 その後、私は、「歴史民族資料館」「鹿嶋神社」等を巡り、帰路に着きましたが、浅田氏が、作家の視点でお話し下さる言葉には、感銘を受け、大満足の白河探訪となりました。 植村氏、安司氏を始め、お世話頂きました皆様方に、感謝いたします。 |
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10/20(木)朝から、浅田次郎氏、文芸春秋S氏、白河市関係者と合流し、戊辰戦争研究会、植村氏、安司氏の案内で、史跡巡りを致しました。
稲荷山、会津藩戦死墓は、震災による復旧作業の最中ですが、墓はすべて「左向け左」になってしまっていたとか・・・ 会津藩白河口副総督の横山主税は、ここを登っている途中、銃弾に倒れてしまいました。 まだ若く、フランス留学が予定されていたとか。 浅田氏も、横山主税の戦死を、非常に残念がられておられました。 頂上には、会津藩白河口総督、西郷頼母の碑があります 山頂に立つと、浅田氏は、「早く、ここに来なくてはいけなかった・・・」としきりにおっしゃっておられました。 これほど近い距離で、激戦があったとは・・・ 次に訪れた南湖公園は、浅田氏、S氏、私も、借景でみごとな庭園に、びっくり致しました。 この日本最古と云われる公園は、白河藩主・松平定信によって造営されたとのことです。 南湖公園にある日本庭園の「翠楽苑」、その一画にある「松楽亭」では、お抹茶と菓子の準備もあり、是非、立ち寄って頂きたいスポットです。 とても、素晴らしい庭園ですが、バブル時、市長が作ったとのことで、無駄遣いの声もあったとか・・・ 浅田氏曰く、そういう時に作っておかないと、いいものは残らないとのこと。 また、ここでは、浅田氏と天然理心流のお話をさせていただきました。 天然理心流というのは、口伝ですが、 「当家に、当時書いたものが、残っております」と言うと、浅田氏は、大変驚かれておられました。 浅田次郎氏と行く白河探訪_後半につづく・・・ |
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浅田次郎先生講演会に参加のため、会場のホテル・サンルート白河へ。
(ホテルの窓から、薄い夕焼けが見えました) 部屋に入り、着物に着替えてから、会場に向かうと、控え室に案内されました。 白河市長を始め、関係方々との挨拶をさせて頂きましたが、阿部家のご子孫、阿部正靖氏もお出でになり、先程、阿部家資料を拝見させて頂き、感慨無量だったこと、ご報告させて頂きました。 浅田次郎先生が、お着きになったという知らせがあり、ご挨拶のため、講演会会場の控え室に移動しました。 6〜7年前、高幡不動尊でお会いして以来かと存じます。 『一刀斎』では、彦五郎をよく描いて下さった旨の、お礼を言わせていただきました。 佐藤彦五郎新選組資料館には、何度か行ったと仰っておられましたが、日野宿本陣と勘違いされていました。 さて、講演会ですが、500人の会場は満席で、白河の皆さまが、いかに歴史に対する熱い思いを、持たれているかを感じました。 講演開始にあたり、阿部氏とともに、私もご紹介いただきました。 お話も大変上手で、笑いどころもあり、沖田総司のこと、斉藤一のこと、また私が、来賓席にいたためもあってか、彦五郎のことも、よくお話されていました。 「壬生義士伝」、「輪違屋糸里」、「一刀斎夢録」の三部作が完了したので、新選組は完結したので、もう書かないと仰っておられ、残念な思いでした。 新たなことに触発されて、書いて頂けるのではないかという、希望も持っているのですが、どうでしょう。 講演終了後、主人は仕事のため、新幹線で帰りましたが、ロビーでは、「一刀斎夢録」のサイン会があり、その後、関係者30名ほどで、親睦会が開かれました。 浅田先生、阿部氏、と同じテーブルでしたが、 先生が「沖田総司はいつから美男子になったんだろうねぇ〜」とつぶやいたところから、総司についての話をさせて頂いたところ、大いに盛り上がりました。 やはり三部作では、終わらないかも知れませんね。 次回は、浅田次郎先生と行く、白河ツアーです・・・ ブログ「佐藤忠 In My Life」でも、白河探訪の記事がありますよ。 |
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お蕎麦を堪能した後は、白河駅裏手にある、小峰城を見学することにしました。
立地も良い場所で、歩いて行く事ができました。 入ってみたところ、目に飛び込んできたのが、石垣の大崩落でした。 今回の大震災で、崩落したとのことですが、崩落箇所は10箇所に及びます。 その姿は、大変痛々しいものでした。 フェンスで立ち入り禁止になっており、見学はできません。 これを修復するにも、パズルのように石を積まなければならず、作業は困難を極めるとの話でした。 城山公園内の阿部家・結城家の資料を展示した「白河集古苑」は、見学することができるので、そちらの建物へ向かいました。 小峰城を築城したのが、初代城主・結城親朝で、最後の城主が、阿部氏だそうです。 阿部一族は、幕府の老中6名を輩出した幕閣の名門です。 今夜、阿部家のご子孫にお会いするため、予備知識として、見学したのですが、阿部家名品館の資料は、数々の刀や甲冑が展示されていました。 主人が芳名帳に記帳した為、副館長の田辺様から、ご挨拶を受け、ご丁寧に案内下さいました。 小峰城は、戊辰戦争で焼け崩れてしまい、1991年に再建されたものだそうですが、一日も早い修復を祈年しております。 6時からの、浅田次郎先生講演会に参加のため、会場のホテル・サンルート白河へ。 その四につづく。 |
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楽蔵を後にして、次に向かったのが「皇徳寺」。
新選組隊士・菊地央(きくちたのむ)の墓がありますが、白河口の戦いで、22歳の若さで亡くなったとのことです。 隣には、東軍戦士者11名を祀った、戦死人供養の碑が建っていました。 「脇本陣柳屋跡」は、斉藤一を筆頭に新選組隊士が休憩した屋敷。 翌5月1日の大激戦の勃発により、宿陣は一晩のみとなってしまいました。 明治14年には、天皇東北巡幸の折、宿泊所として使われました。 ただ明治15年、大火により建物は焼失し、現在は蔵屋敷のみが当時のまま残されています。(見学不可) 「長寿院」白河口の戦いで、約3ヶ月に一千人以上の戦死者を出したのですが、白河の住民は東軍、西軍分け隔てなく、埋葬したお寺です。 その後、遅めの昼食を摂るため、市内を散策しながら、お蕎麦屋さんを探しましたが、白河は水曜日に休みの処が多く、駅方面に向かうことにました。 そこで見つけたのが、外一蕎麦「蕎太郎」というお店。 セットを頼んでみたのですけど、蕎麦は細く、コシがとてもあり、旨さが際立っていました。 聞いてみると、この8月にオープンしたばかりで、地粉にこだわる手打蕎麦だそうです。この時、お店に取材も入っていました。 白河は、お蕎麦が、美味しいようですよ。 白河の新選組史跡を訪ねるにあたり、歳月堂謹製の「ふぃーるどわーく」が、大変役立ちました。当資料館でも、販売しております。 その参につづく |
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さて、19日、東北新幹線は新白河駅に着きましたが、少し寒いようです。
市内ご案内のご連絡を頂きましたが、主人とのんびり観光させて頂く旨をお伝えして、ローカル線で、隣のJR白河駅へ。 駅舎は大正時代に建築されたもので、とてもレトロ、ステンドグラスもはめ込まれていました。 駅を出て左方には、7月末にオープンしたばかりの市立図書館「りぶらん」の大きく近代的な建物が目を引きました。 真っ先に向かったのは、徒歩で数分ほど、沖田総司書簡の複製が展示してある楽蔵「白河見聞館」を下見に。 楽蔵は、7つの古い蔵ある小道になっていて、食事処やお土産店などがあり、大正時代の2階建てのお蔵が「白河見聞館」になっています。 (入場料:大人200円、小人100円、9:00〜17:00 年中無休) 「戊辰・白河口の戦い展」では、松平容保の書と短冊、西郷頼母の掛け軸、20代白河藩主・老中 阿部正外の書は圧巻でした。 新選組隊士が着用の鉢金や手甲、様式銃や弾丸の展示物もありました。 近藤勇書簡の複製は、小島資料館のご協力で展示されていました。 その下には当資料館から、沖田総司書簡が・・・ 新選組グッズコーナーには、「一刀斉ぱうんど」が販売されており、明日、浅田次郎先生もご覧になることでしょう。 その参に続く・・・ |
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