「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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春間近と思っていたのですが、寒い一日となりました。
今回、初公開のひとつ、歳三が彦五郎に宛てた書簡ですが、 実はわたくしの父が亡くなった折、菩提寺である大昌寺様に母が永代供養にと奉納した書簡でした。 一度佐藤家から離れた手紙です。 二か月だけの展示で、お借りするべく、借用書と共に伺った処、杉浦御住職様から思わぬ言葉を頂きました。 「私が持っていても、誰が見てくれる理ではないですし、資料館も出来た事なので、そちらで保管されたら」と。 私は耳を疑いました。 「母の供養の気持ちですから」と遠慮させて頂いたのですが、 「是非どうぞ」と申されました。 ご好意に甘え、大切に風呂敷に包んで持ち帰って参りました。 丁度、三十年ぶりの帰宅です。 ご覧いただくと解りますが、書簡の前後には、奉納時の母の手書きが添えられております。 杉浦御住職は配慮されて 「ここを隠せば展示できるでしょう」 とおっしゃって下さいましたが、私はこのまま展示させていただきます。御住職の御厚意を見に来られた皆様方にお伝えしたいです」と申しました。 風呂敷を解いて、初めて読んだ処、急を要したのでしょう。「飛札」として彦五郎に宛てたものでした。 歴史の一ページを子孫に残し、御厚意を語り継ぎたいと存じます。 |
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震災後ではありましたが、日野宿本陣が開館するということもあり、本日20日(日)開館させて頂きました。
この三連休を利用して日野に行きたいけれど、開いていますか?というご連絡、日野宿本陣からも何度かご連絡も頂きましたが、開館させていただく旨を伝えさせていただきました。 また、心配していた停電ですが、三連休は幸い回避されたとの情報も入りました。 開館すると、関西の方から女性お二人がお出でになり、この連休は日野巡りを予定していたので、本当に良かったですとお声がけを頂きました。 また茨城にお住まいのご夫婦は、息子さんが日野にお住まいなので、避難してきましたとのこと。日野を歩いて、すっかり新選組ファンになりましたとおっしゃっておりました。 1995年に発生した阪神淡路大震災の際、主人の兄一家が宝塚市在住で被災いたしました。震災一週間後、主人がお見舞いに行きましたが、メディア報道は見ていたけれど、実際に現状を目の当たりにすると、あまりの酷さに驚き、その悲惨な状況は実際に行ったものでないと分からないと言っておりました。 今回の東北関東大震災の模様をニュースで見るにつれ、心痛む思いでいっぱいです。 つきましては、被災地復興の医療にお役立て頂きたく、入館料は日本赤十字社に寄付させていただきました。 |
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3月13日(日)の山南忌に参加する為、12日から京都へ向かいました。
早朝のJRは、不通だった為、京王線や地下鉄を乗り継ぎながら羽田まで。 やはり予定の便の飛行機には間に合わなかった為、振り替えで大阪伊丹空港へ、午後には京都に入る事ができました。 山南忌では、谷享司氏と合流し、お焼香させて頂きました。 新選組流山隊は、隊員の安全を考慮し、キャンセル、全てのスケジュールを中止されました。 1時からの記念式典にあたり、松浦壬生寺貫主のもと、皆様と黙祷をさせて頂きました。 その後、山南忌実行委員会会長の田野十一雄様がご挨拶され、続いて、僭越ながらわたくしが来賓代表で挨拶をさせていただきました。 次の島原 司太夫の「黒髪」のみごとな奉納舞は、毎年、楽しみにされている方も多いのではないでしょうか。 さくらさくらカンパニー様によります熱演のお芝居が続き、その後の記念講演で、菊地明様の「山南敬助の脱走事件再考」がございました。 最後に午後5時より、アークホテルにて懇親会がございました。 |
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この度の東北関東大震災による被災者の皆様方へ、心よりお見舞い申し上げます。
また、皆様方のご安全と一日も早い復旧をお祈り申し上げます。 11日、午後2時26分、私は日野宿本陣の向かいにある日野宿交流館で、古文書を読む会に参加しておりました。 会員の皆様とご一緒でしたので、心強かったのですが、今まで経験したことのない揺れに、思わず涙目になってしまいました。 また当資料館にも、皆様にはご心配のメール等を多々いただきましたが、幸い何の被害もなく、お気遣いいただき誠に有難うございました。 3月20日(日)は予定通り開館させていただきます。 輪番停電の可能性もございますが、日野へお出でになられる事を楽しみにされていた皆様方のためにもと判断いたしました。 当日は、日野宿本陣も開館しておりますので、併せてお待ち申し上げております。 次回の『福子だより』は、山南忌の様子をお届けさせていただきます。 |
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「血梅」と呼ばれる、近藤勇ゆかりの梅がございます。
この血梅は、もともと八王子千人町の千人頭・石坂弥次右衛門の屋敷内に植えられていた梅で、 文久一、二年の頃の早春の一日、この石坂家を井上松五郎の案内で近藤勇が訪れた。 弥次右衛門も快く迎え入れ、種々談笑したが、近藤勇は庭に咲く血梅を目にとめて、慎ましく咲く様を激賞した。 弥次右衛門も「それほどお気に入りならば」と後日接ぎ木か取木をして贈ることを約束した。 しかし、この約束は、文久三年近藤勇が浪士組に参加して上洛し、新選組局長として京都市中取り締まりのに当たったが、激動する時代に抗しきれず、慶応四年四月二十五日、板橋刑場の露と消えたことにより果たされることはなかった。 (日野の歴史と民族 新選組を語る1より中略) この血梅が、当資料館近くの谷享司氏宅の庭に植えられております。 ここは、そば処「日野宿 ちばい」という手打ち蕎麦屋さんで、おそばを食べながら、血梅を見られる風情のあるお店です。 血梅の時期のみですが、当資料館所蔵の太田蜀山人書のそばの文(掛軸)が展示してございます。 享司氏の打つ蕎麦も逸品ですので、お薦めです。 只今、満開ですので、お問い合わせしてみては、如何でしょう? お問い合わせ 090−1859ー4351 11時半〜14時まで 月曜定休 なお、2月20日(日)と27日(日)は残念ながら臨時休となっております。 |
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