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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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5月11日(火)、日本テレビ、PONという番組で
命日にちなんで、土方歳三について放映するそうです。

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天候不順の4月でしたが、皆さま体調など崩されていないでせうか?
5月といえば五月晴れ、今、雨が多い分、さわやかな日々が続くのでは?と期待してしまいます。

さて、5月の特別展示ですが、歳三の命日月ですので、
越前康継の葵御紋が契られた刀身を公開いたします。
波紋も大変美しい刀でございます。是非ご覧ください。

また、初公開となりますが、三代目・之定の兼定を特別にお借りしました。
刃長2尺2寸7分、波紋が特徴のある見事なものでございます。
それと併せて、兼定の脇差しも展示する予定です。

8日、9日の「ひの新選組まつり」には
市村鉄之助が佐藤家に届けた『歳三写真』も公開いたします。
こちらは2日間のみの展示となります。

16日(日)も開館いたしますので、
5月の特別展示、是非、足をお運びくださいませ。

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5月 2(日)、3(月)、4(火)、5(水)
   8(土)、9(日)
   16(日)

開館時間11時〜16時(8日、9日は10時〜16時)

佐藤彦五郎新選組資料館のアドレスが変わりました。

最新情報はこちらで更新しています。

宜しくお願いいたします。

http://satoshinsen.himegimi.jp/


旧アドレスも従来通り閲覧できます。

http://satoshinsen.gozaru.jp/


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4月17日(土)『歴史の道ウォーク』は佐藤彦五郎日記に登場する土方歳三が徳川家康の命日に東照宮に参拝した場所を訪問する。

個人宅に存在する為、今回のツアー以外は非公開であり、土方歳三が参拝した御神体も特別に公開がされる模様。

詳細は下記ブログ
http://hikogorou.blog5.fc2.com/blog-entry-129.html
または日野市観光協会HPをごらんください。
http://makoto.shinsenhino.com/archives/news/100309232501.php

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4月10日(土)、18:30〜
日本テレビ『世界一受けたい授業』の歴史の時間に、
当資料館所蔵の『近藤勇から譲り受けた短銃』が登場いたします。
是非、ご覧くださいませ。

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午後、韮山にある江川代官屋敷を目指しました。

車のフロントガラスにぽつぽつと・・・
途中から生憎の雨になってしまいました。

江川邸の入り口の所には、大河ドラマ「篤姫」のロケが行われた時の写真がありました。

島津家から嫁いで行く様子。

そうそう・・・確かに、ここはテレビで見た場面でした。

また、ドラマ「仁-Jin」も此処でロケがあったそうです。




(古写真も展示してあります。)

屋敷内に入ると広い土間がありますが、これは当時とあまり変わってないのでは?と思われます。
ガイドの年配の女性がいましたが、月曜日の雨ということもあってか、他にお客さんも居ず・・・

いろいろお話を聞きながら見ていきますと
展示のところに「撮影禁止」と札が。
すると、「此処は撮影しても大丈夫ですよ。本物の文書は資料館に展示してあり、此処の文書はレプリカですから」と言われました。

古文書も沢山残っているそうですから、彦五郎からの手紙もあるのではないでしょうか。

それでも、当時の調度品は素晴らしいものでした。



奥の間には、塾を開いていたように平机が並んでいます。
文武両道、勉学に励む当時の様子を伺うことができるでしょう。

次に向かったのが、反射炉。
江川代官は、国防のため、大砲鋳造の反射炉を築造しました。
反射炉は、1854年に作られたそうですが、以来、1864年までここで大砲が鋳造され、主として品川台場で使われたそうです。

そういえば、坂本龍馬も台場で大砲設置の仕事をしたとか・・・
大河ドラマでもやっていましたよね。


江川太郎左衛門とツーショットで(笑)

その後、ホテルに向かいました。

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2月1日、2日と家族4人で伊豆に行って参りました。

初日はお天気が優れず、どんよりした曇り空。

東名高速に乗って、沼津港を目指します。

途中、足柄Pで一休み。富士山も大きく見えます。


沼津港では、市場があり、たくさんのお店がありました。

ここでお昼にしましたが、ボリュームたっぷりで食べきれません。

残りは主人に託しましたが、食べ切った主人曰く「もう限界」

このあと、彦五郎と大変繋がりのある韮山の代官・江川太郎左衛門の屋敷へ行きました。
その模様は後程。
江川代官から彦五郎へ様々な要望、ご連絡をしており、佐藤家にも当時の文書が残っております。

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『彦五郎の長男・俊宣が残した明治期からの写真』について。
続編となりますが、
珍しい写真の中に男性7人が写真館で撮ったものがありました。

それぞれ、名前が記してあり、「佐藤」「土方兄」「土方」「本田」「伊藤」「黒田」「中村」とあります。
若き十代後半くらいの佐藤仁の姿は、とても初々しく映っています。

若き頃の仁

また俊宣はたくさんの写真を残しました。

「お茶の水」と題された写真は、ほとんど建物もなく、堀り作られた神田川の奥に、ニコライ堂が見えます。

「九段坂の夕照」は、人々や馬車、今とは想像もつかないほどの風景写真です。

「武州八王子町」は、甲陽鎮武隊が通り抜けた時とそれほど変わらないのではないでしょうか。甲州街道の当時の様子を伝えています。

「上野東照宮」の写真もあります。俊宣はどんな思いで参ったのでしょう。

写真は当時を今に伝える貴重な資料ですね。

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2月21日(日)午後4時半より、
「俊宣が撮り残した明治期からの写真を公開。井上博司カメラマンの目から写真を分析、子孫と語る」
と題した講演会を行いました。

選んだ写真は明治時代の写真約50点ほど。
予定時間は1時間でしたが、興味深い写真を検証していくうちに、時間をオーバーしてしまい、2時間近くになってしまいました。

そのひとつが、上段の間があった頃の本陣(彦五郎邸)の写真です。
これは、彦五郎の四男・彦吉の嗣いだ有山家が火事で消失した明治26年以前の写真と考えられます。
その後、すぐ生活できるようにと、上段の間は有山家に曳きやで移築されます。

タイトルが記してあり、「内庭の鮒釣」とありますが、池もかなり広く、周りに木が茂っているのが分かります。
その奥に上段の間のついた屋敷があり、奇妙なことに屋根にはアンテナのようなものが、2本立っています。
後々、解明されることになれば、興味深い話だと思います。

またご参加された方の中に、羽生家のご子孫がいらっしゃって
最後に皆さまにご紹介させていただきました。
勝沼戦争後、彦五郎は草の根を分けても見つけ出せと官軍に追われ、妻のぶと末娘ともを連れいで、逃れ逃れて辿り着いた五日市の羽生家に匿われましたが、そのご子孫です。

羽生家の古い写真も見つかり、小さなものですが、皆さまにも回して見ていただきました。

またこんな機会を設けようと思います。

ご参加された皆さま、遅くまでどうも有難うございました。

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講演会のお知らせ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■日 時:2月21日(日)16時30分〜17時30分(予定)

■場 所:佐藤彦五郎新選組資料館

■内 容:彦五郎の長男・俊宣が残した明治期からの写真を公開。
井上博司カメラマンの目から写真を分析、子孫と語る。

■参加費:入館料
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ご予約は、メール、または電話。先着順となります。

佐藤彦五郎新選組資料館
東京都日野市日野本町2-15-5
TEL&FAX 042-581-0370
メール d-fab@m2.hinocatv.ne.jp

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