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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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彦五郎が八坂神社に関わったことについての年表

寛政12年(1800)牛頭天王社再建   彦右衛門

嘉永7年(1854)八坂宮再建     彦五郎

安政5年(1858)天然理心流奉献   彦五郎

万延元年(1860)祇園社の篇額奉納(工匠 鈴木亀吉)彦五郎

慶応元年(1865)神輿破れる

明治元年(1868)神仏混淆禁止令 (近藤勇の死)

明治2年(1869)牛頭天王社、八坂神社と改称。普門寺の管理離れる。(歳三の死)

明治3年(1870)名主・俊宣発起人となり、神輿、お仮屋、神輿庫の新建計画

明治7年(1874)有栖川宮熾仁親王の書による『八坂社』の篇額完成『祇園社』の額と変える

明治13年(1880)神輿等の完成、上下佐藤で祝詞奉納(彦五郎邸に明治天皇ご小休・6/16)

以上、『八坂の杜から』日野市八坂神社出版より

彦五郎と八坂神社の関わりが、大変深いことが窺われますが、
ここに登場する工匠・鈴木亀吉は、彦五郎邸の大工の棟梁です。

また、前回お話しました鈴木亀吉の写真というのは、祇園社の大きな額の横に立っている古写真です。
他に祇園社の表の古写真、裏の古写真も見つかりました。

おそらく、新たに『八坂社』の額に変える時、下ろした古い『祇園社』の額を写したのでしょう。
明治7年頃の写真かと思われます。

鈴木亀吉さん、職人肌で仕事に対して頑固だったのでしょう、しっかりしたお顔で映っています。
9月の八坂神社のお祭りに合わせて、当資料館に展示したいと思います。

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