「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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杜の都・仙台というと、緑豊かな神社のある城下町のイメージがございます。
たしかに緑が多いという実感がありました。 有名どころでは、伊達政宗像、仙台城(青葉城)、広瀬川、東北大学というところでしょうか。 土方歳三も北上の途中、この地を踏んでおりますが、 山南啓助は、陸奥国仙台藩出身という説があり、 天保4年仙台藩江戸蔵屋敷に勤める仙台藩士山南某の次男として生まれ、文武両道にして北辰一刀流、千葉周作の門人で免許を取るまでに至ったという、永倉新八等の話が残されています。 仙台でも「山南」を「やまなみ」という呼び方はないそうですが、「サンナン」と日野宿の人たちは呼んでいました。 本人も「三南」や「三男」と署名していることから、「サンナン」であったのだろうと思います。 さて、そんな仙台ですが、 るーぷるバスという、仙台市内中心部の観光スポットを巡るレトロ調なバスがあります。 どこからでも乗り降り自由で乗り放題という便利なバスです。 一日乗車券を購入して、 仙台の魅力を味わうべく出発しました。 最初に訪れたのが、伊達政宗公の霊廟「瑞鳳殿」。 伊達正宗の遺言によって、没後、第二代藩主・伊達忠宗この場所に埋葬されたそうです。 すこし小高い丘のような場所にあるので、長い坂道や階段を登っていきますが、途中、無料貸し出しの杖がありました。 伊達家の家紋といえば「竹に雀」の紋ですが、豊臣秀吉から拝領したという十六葉菊紋も使われていたようです。 明治以降、菊の御紋は天皇家のみの紋になったそうです。 この豪華絢爛な廟の地下に伊達政宗が眠っています。 日光東照宮のような凝った細工が美しい建築物ですが、国宝指定だった当時の建物は昭和20年7月の空襲で焼失してしまい、現存するのは昭和54年に再建されたものだそうです。 瑞鳳殿資料館では副葬品、遺骨調査資料、遺骨を元に復元された三藩主の姿像が展示されています。また館内の一画では発掘調査の模様を上映していました。 瑞鳳殿の坂道の途中に瑞鳳寺がありますが、「鹿児島県人7人の墓」の看板がありました。 ここには、西南戦争で敗れた西郷軍が、国事犯として全国の監獄に護送され、ここ仙台にも305人が収容されましたが、その中の13名が病死し、6名が遺族に引き取られ、残る7人が埋葬されていますという説明がありました。 七士が眠る墓。 次に向かった仙台市博物館は、仙台城三の丸跡に昭和36年に開館。昭和26年に仙台伊達家から寄贈された資料、約1000点が展示されています。 仙台城趾へ。 仙台城趾からの市内。当時、城から城下町が一望できたのでしょう。 将軍家康より25歳下の正宗は、従順を示すため、 あえて天守閣は設けなかったそうです。 ここには、あの有名な伊達政宗騎馬像があります。 伊達政宗というと独眼竜のイメージがありますが、本人の遺言により像や肖像画には両目が入れられているそうです。この騎馬像もしかり。 この騎馬像辺りが、土方歳三が伊達慶邦に拝謁した所なんですね。 杜の都・仙台も素敵なところでした。 PR |
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