「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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昨日の「第3回 歳三書簡を読む」会には、多数お集り戴き、ありがとうございました。
会場も満席となり、ご参加できなかった皆さまには、大変申し訳ございませんでした。 一文字一文字取り上げての解りやすい解説、そして、清水先生ならではの新しい発見もございました。 当日、清水先生は、31人会の会合等、お忙しいスケジュールの中での2時間弱の勉強会ではありましたが、大変充実した会となりました。 先生をお送りする車中でも、会話が尽きず、 「この様な企画を下さり、改めて歳三の手紙を読んでみると発見も多い」 と、言って下さいました。 また次回の勉強会も、是非楽しみにお待ち下さいませ。 主人のブログ「in my life」でも、この勉強会のことが載っていますので、リンクから入ってご覧ください。 PR |
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6月20日は、とても意義深い日です。
新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、 旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日は、新暦では、今日・・・6月20日にあたります。 歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待ちますが、出航したのが新暦の6月23日前後でしょうか。 数日かけての航行で、6月末に横浜に着いたのではないでしょうか。 江戸の質屋に立ち寄ったという記録がございます。 それから身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、3〜4日くらいは掛かるのでしょうね。 佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日という説があります。 やはり梅雨の時期なのですね。 旧暦と新暦、その年によって、多少の誤差が生じます。 例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。 歳三の命日は、江戸では梅雨の時期だった…なんて考えてみると、当時へ思いを馳せることができるのではないでしょうか。 私は、歳三のすぐ上の姉、のぶの直系の子孫にあたりますが 弟思いだったのぶ。市村鉄之助から歳三の戦死を知らされた時のことを思うと、とても忍びないです。 歳三の冥福をお祈りいたします。 |
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最近、主人が旧暦と新暦のことを調べているみたいで、
本日、6月20日は、旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日にあたるそうです。 新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、旧暦はその年によって、月、日の割り方が異なりますので、毎年、多少のずれが生じます。 例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。 歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待ちますが、出航したのが新暦の6月23日頃でしょうか。 航行に数日掛かったと思われますので、横浜には6月末に着いているでしょう。 江戸の質屋に立ち寄ったという記録もございますので、それから身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、3〜4日くらいは掛かるでしょうか。 佐藤家に着いたのが、新暦の7月の始めではないでしょうか。 梅雨の真直中だったと思います。 旧暦と新暦を調べて、あの時は現在ではこんな季節だったのだな〜…なんて考えてみると、おもしろいものですね。 |
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8月9日(土)から、神奈川歴史博物館にて
『五姓田のすべて-近代絵画への架け橋ー』が開催されます。 それに出展するに当たり、現在、当資料館にて展示中の歳三の肖像画と土方力三郎氏による、祖父・仁の幼少時代のえんぴつ画の2点を、図録製作のための撮影が、昨日9日に行われました。 学芸員・角田氏とカメラマンの方がお見えになりましたが、角田氏の学歴が凄くて、東大、東京芸大、東京芸大大学院を卒業されています。芸大では日本画専攻だったとのこと。 歳三の肖像画については、大変素晴らしく、明治15年に描かれたもので、刀の柄の部分に使われた色は、当時、日本では手に入らない絵の具なので、輸入されたもので、貴重な絵であることが解りました。 この絵は、五姓田芳柳の弟子、松原三五郎の筆によるものですが、慶応3年に五姓田芳柳が日野宿を訪れた足跡があり、彦五郎とも接点があったと思われます。 その後、若き画家、松原たちをバックアップするために、各地を廻ったのでしょうか。彦五郎の元を訪ねたようです。 彦五郎が頼んだのが、あの市村鉄之助が我が家に届けた歳三の写真を元に、肖像画を描いて頂いたようです。 彦五郎はどんな思いで、歳三の肖像画を描いてもらおうと思ったのでしょうか… 名主ともなると、数々の文化人との交流も多く、彦五郎は芸術家たちに理解があったと思われるエピソードです。 また今回初めてお見せした絵が、土方力三郎氏による、祖父・仁の肖像画ですが、母と一緒に写っている写真を元に描いたものです。 空白部分に、仁の晩年の追記があり、文中に『土方力三郎により描かれ…』と書いてありました。 力三郎の絵にはサインがないそうで、唯一『土方力三郎』の名前を見る事ができる大変貴重なものだそうです。 改めて、筆まめな祖父・仁に感謝です。 この絵は、10日程前に発見いたしましたが、2000点以上にも及ぶ我が家の古写真の中に埋もれておりました。 資料を整理しておりますと、探している資料以前に、不思議と新たな発見があります。 ひとり「ワァー!」と声が出てしまう日々です。 新発見資料につきましては、『福子だより』で発表させていただきます。 |
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2007年10月26日(金)『柴犬、鉄之助』
10月から歳三の書簡を展示替え致しましたが、お陰様で好評です。歳三が長州征伐に行く前、戦死した時のことを考慮して、京で付けていた日記帳と鉢金を彦五郎に送るとの手紙ですが、「歳三さんがどのような気持ちで彦五郎さんに送ったのかを思うと、胸がいっぱいになります」とファンの方々からの感想をいただきました。今後も歳三書簡の入れ替えを予定しております。私も日々、当家に残る古文書類を調べておりますが、新選組に関する古文書が見つかると、胸が熱くなります。 さて、雄の柴犬が新しく我が家の食客に加わりました。9カ月にしては体も大きく、毛並みも良いのですが、まだ淋しがっております。。名前は『鉄之助』。資料館近くで見かけた時は「鉄ちゃん」とお声をお掛けくださいね。 『ムン』も元気です。 |
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