「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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午後からは、舞台を国立市谷保に移して、本田家主屋・薬医門の見学です。
本田家も非公開です。 1時20分、会員の皆さんより先に着きましたので、薬医門に行きますとご当主の娘さんが出迎えてくださいました。 間もなく本田家16代ご当主咊夫(荻庵)さんも見えられ、しばし談笑となりましたが、「谷保天満宮一千年祭」の古写真2枚、複写したものをお見せしたところ、明治時代の甲州街道に2台の人力車と塀が写っているのを見て、本田家前に間違いないことが分かりました。 薬医門の一部も写っていますが、まだ甲州街道に面していたものでした。 道路幅拡張によって、現在の位置に移されました。 この古写真は見た事がなかったとのこと、おふたりとも大変喜ばれておいででした。 30分ほどして、会員の皆さんも到着し、おふたりのご説明を伺ながら見学となりました。 現在、平日は国立市の調査が入っているとのことです。 昔の屋敷の絵が額にありましたが、光ってしまうため斜めからの撮影 新しい玄関には、米庵流の篆刻が並んでいます 主屋の建築年代を調べたところ、本田家には「金屋諸職人作料其外払方牒」(嘉永2年・1849年)という家普請の記録があり、このとき母屋南側の書院、および母屋西側の元々馬屋だったところを書斎等に増築したものとあります。 嘉永2年に増築されているので、歳三や近藤勇が訪れていたころは、現在の建築であったようです。 咊夫さんにお伺いしましたところ、近藤勇は周辺の剣術のために訪れていますが、書や漢詩を習っていたそうです。 東側からの面、書院、中の間、奥の間と続く 中の間・北側の柱に付けられていた祈祷札を調査したところ、享保16年(1731)銘が確認されたそうです。 祈祷札を剥がしたあとは、白く残っています。 300年近くの歴史のある建築ということになります。 東側の古い方の玄関に私が向かうと、多くのオーブが写り込んでいます。 とてつもなく長い歴史を背負った建物で、著名な文人たちも此処の歴史に携わっています。 狂歌師の蜀山人 こと太田直次郎や府中六所宮の祠官の猿渡容盛(ひろもり)、儒者で漢詩人の小野故山、他多くの文化人との交流がありました。 佐藤彦五郎邸もそうですが、当時の文人たち、また歳三・勇らの語らいが聞こえてきそうな邸内は、そんな歴史が刻まれているのですね。 歳三や勇が泊まった部屋がここ。奥の間になるそうです。 奥の間には、彦五郎の母・マサの姉・チカさんの絵の額がありました。 東側から見る薬医門 2時40分、おふたりに御礼申し上げ、谷保天満宮に向かいました。 谷保天満宮の話しは次回にさせていただきます。 PR |
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