「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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当資料館に展示の沖田総司の書簡は、皆さま、ご覧にされた事と存じます。
10月19日(水)、福島県白河市へ行って参りました。 白河を訪れる経緯は、今年3月6日の開館日に「白河歴史のまちづくりフォーラム」代表の安司様、白河第二高校の植村先生、ご一行がご来館下さいました。 このほど、戊辰東北戦争研究会の主催で「白河見聞館」をオープンする運びとなり、白河藩出身である沖田総司の書簡の複製を是非、展示したいとのことでした。 6月末オープン予定で、お急ぎの様子でしたが、その直後、東日本大震災が起きました。 白河の復興を願い、白河の観光に、微力ながら応援出来ればとの一念で、「白河見聞館」での沖田総司書簡のレプリカ販売を、許可させていただいております。 沖田総司書簡の複製に関して、ご丁寧に感謝状まで頂きました。 「白河見聞館」のオープンは、震災の影響で、1ヶ月程遅れたようですが、お知らせを頂き、また、当日は浅田次郎氏『一刀斉夢録』出版の講演会も催されるとのことで、楽しみに出向きました。 白河探訪へ続く PR |
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近藤勇の漢詩の書が発見されたとのことです。
新選組:局長、近藤勇直筆の掛け軸 京都市内で発見 毎日新聞 10月5日(水)に掲載されました。 以下毎日新聞から転載 幕末の京都で活躍した新選組局長、近藤勇(1834~68)直筆の掛け軸が京都市内で見つかったことが分かった。「英雄」をテーマにした自作の漢詩で、近藤が活動資金調達のために豪商などから金を借りる際にお礼として書いたものと見られる。近藤直筆の掛け軸は数点しか見つかっておらず、近藤の人間像を知るうえで貴重な発見という。 掛け軸は縦196センチ、横63センチ(書は縦136センチ、横60センチ)。同市内の美術店が08年に大阪府内で入手して所蔵していたものを今月、広島県尾道市の医師が購入した。幕末を中心とした歴史博物館「霊山(りょうぜん)歴史館」(京都市東山区)に持ち込まれ、木村幸比古・学芸課長(幕末史)が筆跡や落款(らっかん)などから真筆と判定した。 書の詳しい内容は未解明だが、「英雄」に対する心情を披露し、最後に「剣客士 近藤書」と書かれている。 木村課長によると、近藤らが関東から入洛(にゅうらく)した文久3(1863)年ごろに書かれた掛け軸(東京国立博物館所蔵)と形式などが似ており、同時期の書と見られる。同年、近藤らは武功を評価されて「新選組」の名を与えられ、倒幕運動の過激派志士の取り締まりに当たった。大阪や京都の豪商らから強引に金を借り、こうした書を残すことがあったという。 木村課長は「漢学者の頼山陽(らいさんよう)の書を好み、まねをしていた近藤の筆跡に間違いない。憧れの武士となって意気揚々としていた当時の近藤の様子が伝わってくる」と話している。【花澤茂人】 当資料館には、近藤勇が慶応2年に書いた漢詩の書を展示してありますが、書体や全体の形式、雰囲気が、大変似ています。 毎日新聞の掲載ページ http://mainichi.jp/enta/art/news/20111005k0000e040009000c.html 当資料館では、近藤勇が手本としていた「頼山陽の書」(近藤勇が彦五郎に土産として持ってきた)と並べて展示しております。 頼山陽の書の影響を大変受けたことが、よく分かるでしょう。 |
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阿納先生が当資料館にお出でいただいたのは、2年前だったでしょうか。
ちょうど限定展示だった近藤勇の写真を見られて、 「龍馬の座っているポーズがあるので、並んで展示したいですね」 と、おっしゃいました。 それが実現したら、素晴らしい出来事だと思いました。 阿納先生は色々とご尽力してくださいました。 残念ながら、現在、実現には至っておりません。 今年の5月に、阿納先生が、長宗我部先生をご紹介くださいました。 「今こそ、日本人の武士魂が、必要な時」 今回の彦五郎忌の講演をお願いしようと思いました。 以前は噂の域でしかなかった、龍馬と新選組関係者の接触など、 新事実の発見もあったり、 近藤勇との関わりの話もあり、大変興味深い講演会となりました。 また、両先生から、講演会の快諾をいただき、 準備を進めておりました処、古文書類のかから、 祖父、仁の筆跡で「写真六葉在中」と書かれた封筒を発見いたしました。 中を改めますと、小島鹿之助さんの孫にあたる小島孝氏から 佐藤家に送られた、龍馬の複写写真と 「京都、知恩院境内に在り」と裏書きされた 仁が龍馬像の前で撮った写真がでてきました。 阿納先生は、この写真をご覧になられ、第二次大戦に撤去される前の銅像で 大変貴重ですねと驚かれておりました。 この度の写真発見は、不思議なご縁を感じました。 |
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奇跡の様な天候は、彦五郎のメッセージではないかと思いました。
幕末の動乱期を生き抜いてきた彦五郎やノブ。 日本人としての、底力を感じます。 さて、第二部の講演会について。 帝都龍馬会代表、阿納先生。 大変、研究熱心でございますので、今回の講演会のためにお忙しい中、いろいろとお調べいただいていましたところ、偶然にも新しい事実が見つかりました。 初披露、お話しいただきました。 改めて、龍馬さんの魅力でもある生き方を知ることができました。 続いて、長宗我部枝四先生。 長い歴史のあるご先祖のお話から。 ご先祖を顕彰するために、弓月流を現代に伝承される姿は、素晴らしいものでした。 曾祖父、行竹亀吉氏と龍馬さんとの深い絆、 近藤勇への回想は驚くばかりでした。 木刀をお持ち下さり、龍馬さんと亀吉さんが創り上げた活刀剣術を具体的に見せていただきました。 天然理心流9代宗家、宮川清蔵先生のお話しもあり、盛り沢山の講演会でした。 時間もなくなってしまい、先生そして皆様にとって、充実した講演会となりました。 本当は、もう少し時間があれば、先生たちにとってもご満足いただけたかも知れないですね。 |
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昨日の彦五郎忌には、お忙しい中、多くの皆様方にお集まり頂きまして、誠にありがとうございました。
ご予約をいただいておりましたが、当日ご参加された方もいらっしゃって、予定よりも多く約60名のご参加となり、資料のコピー不足、記念品不足で、大変ご迷惑をおかけいたしました。 資料のコピーは対処出来ましたが、記念品は、明日発送させて頂きます。 11時すぎ、読経の最中、スコールのハプニングがありましたが、皆様方の気持ちが伝わったのでしょう。 墓参の時には、驚くほど、すっかり雨があがりました、 私も心から念じておりました。 その後、「私の念力です!」と言いましたが、そんな願いが通じたのかな?と思えるほど、きれいに晴れてくれました。 講演会については、また書かせていただきます。 |
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昨日、7月30日、帝都龍馬会主催
「龍馬の手紙を読む」 「長宗我部とヤマトタケル」 の講座に行って参りました。 龍馬の手紙は、慶応3年、坂本乙女宛のもので、 講師は、龍馬会代表の阿納先生でした。 姉に宛てた手紙の為、かな文字で書かれており、 「浮木の亀」のことわざを用いて、教養の深さも伺える書簡です。 読みやすい手紙でしたが、一文字ずつ解読され、 大変解りやすい講座でした。 釈文を読んだだけでは、解らない追伸の部分も、 先生の解釈で納得致しました。 長宗我部氏の講演は、ご先祖が坂本龍馬との関わりが深かっただけに、興味深いお話しを聞くことができました。 9月11日の「彦五郎忌」には、急遽、阿納先生もお話しして頂けることとなりました。 北辰一刀流門人である清川八郎と龍馬の江戸での接点、ご先祖が会った近藤勇との秘話等、貴重なお話しもして頂けるとのことです。 長宗我部家代々に受け継がれた鍛練を、「彦五郎忌」に教えていただくつもりでおります。 是非、皆様、ご参加いただけますよう宜しくお願いいたします。 |
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