忍者ブログ
  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
Admin*Write*Comment
[423]  [421]  [422]  [420]  [419]  [418]  [417]  [416]  [415]  [414]  [413

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




旅の二日目は、ガイドの白鳥様に組んでいただいたスケジュールで、松前、江差の歳三の足跡を巡っていきます。

10時にホテルにお迎えくださり出発となりましたが、主人が二股口に行きたいとのリクエストをお伝えしたところ、今回のコースに入れると二股口が夕方以降になってしまうため、先に回った方がいいだろうとの判断で、予定コースを急遽替えての史跡めぐりとなりました。
わがままにも対応していただき、有り難い限りです。

二股口に行く途中、北斗市の市渡というところですが、そこでは土方隊ゆかりの場所、二カ所を訪れました。
最初に車を降りたのが、土方隊野戦病院跡地です。


現在は草と木の処に看板が立っています。

次は、土方隊が二股口戦で作戦会議を開いた川濯神社。


川濯神社の参道。大きな木が何本かありますがが、当時のものが残っていると思われます。
石の鳥居には、安政六年三月の文字が彫ってあります。


本堂は階段を上がったところにあります。


歳三はこの境内から隊士たちに士気を鼓舞したのでしょうか。
白鳥さんは「ここに立った歳三さんが見下ろした景色でしょう」と言われました。



川濯神社の長い参道には赤い鳥居、石の鳥居があります。

次に向かったのが、二股口です。
車は国道227号線を江差方面に向かいましたが、二股口は知らないと通り過ぎてしまいそうなところにありました。


二股口古戦場の案内が建っていました。


奥へ奥へと進んでいきます。


この立て札からは、山道、けもの道を登っていくことになります。


古戦場跡の小さな矢印看板が所々に建っています。


山道を登りましたが、底の厚い靴ではなかったので途中で断念。
白鳥さんは、この上で歳三が隊士たちに酒を振る舞ったとの説明がありました。


次は江差に向かいます。

拍手[12回]

PR



COMMENT
Name
Title
Color
Mail
URL
Text
Pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新CM
[06/04 筒井陽一]
[06/04 永倉新八]
[04/16 杉本]
[12/14 Jun Amanto]
[11/28 霍瀟かくしょう]
[07/05 霍瀟かくしょう]
[05/20 鉄砲の妻N]
最新TB
プロフィール
HN:
fukuko
性別:
女性
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
Copyright ©   佐藤彦五郎新選組資料館日記『福子だより』 All Rights Reserved.
photo by RHETORIC material by Atelier Black/White Template by Kaie
忍者ブログ [PR]