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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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今回は「碧血碑慰霊祭」で函館に伺うことになりましたが、以前、函館を初めて訪れた際は、湯の川にあるホテルに到着すると先ず「鷲の木海岸」に向かったことを思い出します。
帰りは海沿いの道路から川汲を通って戻りました。

函館空港に到着すると、歳三の足跡に大変詳しいガイドをされている白鳥様が出迎えてくださいました。
今回、函館、江差、松前とスケジュールを組んでいただきました。

空港から中心地に車で移動しますが、箱館の歳三や幕府軍の足跡を辿りながら向かっていきます。


湯倉神社。湯の川温泉発祥の地。榎本武揚軍は傷病兵をこの湯で療養させたとある。


五稜郭から箱館山へ向かう直線道路は当時の旧道。


松川街道。歳三が最後に駆け抜けた道だそうです。


箱館山方面から新政府軍は行軍してきた。


沖之口番所跡。新選組が市中見回りのために使った番所。
歳三が暮らしていた丁サ、新選組屯所にも近い場所にあった。


丁サ。歳三が箱館で過ごす時に使われた豪商「佐野専左衛門」宅跡とのこと。


新選組屯所跡。向かいの弥生小学校を含み「称名寺」があった所。


幕府によって建造された箱館丸の復元船。



明治33年9月に完成した函館港の防波堤。弁天台場の土塁石垣石が多く使われたとのこと。


石垣には弾が当たった丸い穴があるとの説明があった。


碧血碑慰霊祭建立140周年記念・直会に展示された武蔵野楼の古写真。
豊川橋のほとりにあった遊女屋で、屋形船でここに通うのが粋だったという。
明治2年、箱館戦争終結前夜ここで幕府軍最後の宴が催されたという。

武蔵野楼があった場所は現在埋め立てられ、このガソリンスタンド辺りとのこと。

明治2年5月11日(新暦6月10日)、歳三が倒れた一本木関門。
最期の地として、若松緑地公園内に碑が建っていますが、白鳥様によると、安全対策上そこにしましたが、実際に撃たれた最期の場所はこの道路の辺りだそうです。
そこに降り、手を合わせることができたことは、今回の函館での最も重要なことのひとつ。
ご案内くださった白鳥様に感謝いたします。


歳三最期の地はこの辺りとのこと。


つづきは「二股口」「江差」です。

現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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