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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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江差から松前方面に向かいますが、途中、大滝の古戦場跡に降りました。

谷には大滝橋が掛けられていますが、当時は深い谷をよじ登るような難所だったそうです。
明治元年11月、松前藩軍との激戦で、土方歳三隊、旧幕府軍の攻撃が上回り、一挙に制圧しました。


大滝の古戦場の碑があります。


大滝橋の山側には、滝が見えました。


橋脚から海岸方面には旧道が残っています。現在、草に覆われていて分かりにくいですが、平な所が旧道です。
白鳥さんは「あの先から歳三さんがやってきました」と言われました。

次の地、松前に着くと、白鳥さんのご厚意で午餐を御相伴にあずかりました。

温泉旅館「矢野」で午餐を予約されていたそうですが、コース順路変更で時間が遅くなってしまい、白鳥さん、旅館の女将さん始め皆様にもご迷惑をお掛けしました。


温泉旅館「矢野」の女将さんと

さっそくお部屋にご案内していただきましたが、大変眺めのいいお部屋をご用意いただきました。



ここでご予約いただいた料理は、1860年、京都から松前藩主14代徳広公に嫁いだ姫の婚礼の祝膳で、お姫様のために京風だそうです。

松前、函館でも親しまれているくじら汁や寄せ豆腐、にしんに数の子、いくら、あわび飯などが並びました。特別に「うにの天ぷら」も付いていました。


150余年前の御膳に思いを馳せ、美味しくいただきました。

この矢野旅館の1階には、甲冑などの貴重な展示スペースがあります。


慶応3年に撮られた松前城の古写真。歳三が攻め入った当時のようすが思い浮かびます。





矢野旅館は、松前城と法華寺の間に位置しています。弾が飛び交った場所かも知れませんね。

このあと、法華寺に向かいました。




草むらの奥に入って行くと、旧幕府軍合葬塚があります。


法華寺から見た松前城。土方歳三が見据えた城はこんなだったのかも知れませんね。

近所に方が「ここに土方歳三のお墓がありますよ」と言われましたが、旧幕府軍の数名のお墓です。


右奥に旧幕府軍のお墓が並んでいます。

次に松前城に車で向かいました。


残念ながら、拝観時間が過ぎて天守の中には入れませんが、城内は見ることができます。


歳三が入城した門だそうです。


お城からが海を隔てて、津軽まで見渡せます。


ここからのお城が一番素敵です。


塀には鉄砲を撃つ為の穴が、たくさん付けてありました。

最後に向かったのが、永倉新八住居跡です。


看板があるのみで更地の状態です。
ここは個人で探すには見つけにくいかもしれません。


以上で、今回の歳三の足跡巡りの旅は終了です。

今回、歳三の足跡巡りをご厚意でガイドしていただいた白鳥さんは、箱舘で歳三の足跡には大変詳しい方で函館のツアーガイドをされています。
皆さんもいかがですか。

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二股口から江差に向かいます。

途中、ダムの人造湖の処に古戦場稲倉石「碧血碑」がありました。


明治元年11月に旧幕府軍と松前軍の戦いで稲倉石は激戦地でした。大正時代に元松前藩士の有志によって碧血碑が建立されました。

江差に着くと、有名な「歳三の嘆きの松」に行きます。
開陽丸が沈没するのを見た歳三が、この松を叩き嘆いたという伝説の残る松です。
立て看板の説明書きには
「土方歳三 嘆きの松
旧徳川幕府軍の軍艦「開陽丸」は、明治元年11月15日、暴風雪によって江差沖で座礁・沈没した。
伝説では、土方歳三と榎本武揚が、この場所から座礁した「開陽丸」を見て土方が松の木を叩き嘆いた。
その後、松の木にはコブができ曲がっていった。
後になり、江差の人はこの松の木を「土方歳三 嘆きの松」というようになった。」
とあります。
白鳥さんは、嘆いたというのはニュアンスが違うのではないか、もっと男らしく悔しがったのだと思う、というようなことを言っていました。


土方歳三 嘆きの松。伝説とはいえ、当時は折れ曲がるような小さな松だったのかも知れません。


嘆きの松の後ろに、明治20年建築の旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)があります。


白鳥さんが「階段を登った左側の民家の場所に旅籠があり、開陽丸が沈んだ時、歳三が榎本武揚氏と一緒に泊まった場所の跡地です」との説明がございました。


江姥神大神宮。歳三も参拝したのでしょうか。


ニシン漁の盛んだった横山家。建物はウナギの寝床形式でとても長く繋がっていました。


江差は、にしんが漁れたそうで、この道路辺りは海だったとのこと。
横山家。海に面した下の部分に船を収納したとのこと。

次に行ったのが「開陽丸青少年センター」。ここに開陽丸を復元した軍艦があります。


この建物の中はショップがありますが、開陽丸から引き揚げられたピストルや弾、隊士のブーツなどの展示もあります。


船内に入ると、当時の船内の模様を再現した人形があり、引き揚げた品が多数展示されています。
その展示品の中に、三つハートの葵の御紋があります。
徳川幕府がオランダに発注した軍艦で、船首のマークの三ツ葉葵の御紋は、オランダ側の誤解なのか、葉のところがハートのマークに作られてしまったとのことです。
可愛らしい金の葵の御紋でした。


甲板に上がると、かなり広いことが分かります。


舵をとってみましたが、とても大っきいですね。

開陽丸を出たところには開陽丸の船体の一部が展示されていました。


船体の木造部分がありましたが、雨ざらしでビックリしました。
朽ちてしまうのではないでしょうか。


スクリューシャフト。重さ長さでも出土遺物のなかで最大級のもの。


次は松前に向かいます。

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旅の二日目は、ガイドの白鳥様に組んでいただいたスケジュールで、松前、江差の歳三の足跡を巡っていきます。

10時にホテルにお迎えくださり出発となりましたが、主人が二股口に行きたいとのリクエストをお伝えしたところ、今回のコースに入れると二股口が夕方以降になってしまうため、先に回った方がいいだろうとの判断で、予定コースを急遽替えての史跡めぐりとなりました。
わがままにも対応していただき、有り難い限りです。

二股口に行く途中、北斗市の市渡というところですが、そこでは土方隊ゆかりの場所、二カ所を訪れました。
最初に車を降りたのが、土方隊野戦病院跡地です。


現在は草と木の処に看板が立っています。

次は、土方隊が二股口戦で作戦会議を開いた川濯神社。


川濯神社の参道。大きな木が何本かありますがが、当時のものが残っていると思われます。
石の鳥居には、安政六年三月の文字が彫ってあります。


本堂は階段を上がったところにあります。


歳三はこの境内から隊士たちに士気を鼓舞したのでしょうか。
白鳥さんは「ここに立った歳三さんが見下ろした景色でしょう」と言われました。



川濯神社の長い参道には赤い鳥居、石の鳥居があります。

次に向かったのが、二股口です。
車は国道227号線を江差方面に向かいましたが、二股口は知らないと通り過ぎてしまいそうなところにありました。


二股口古戦場の案内が建っていました。


奥へ奥へと進んでいきます。


この立て札からは、山道、けもの道を登っていくことになります。


古戦場跡の小さな矢印看板が所々に建っています。


山道を登りましたが、底の厚い靴ではなかったので途中で断念。
白鳥さんは、この上で歳三が隊士たちに酒を振る舞ったとの説明がありました。


次は江差に向かいます。

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今回は「碧血碑慰霊祭」で函館に伺うことになりましたが、以前、函館を初めて訪れた際は、湯の川にあるホテルに到着すると先ず「鷲の木海岸」に向かったことを思い出します。
帰りは海沿いの道路から川汲を通って戻りました。

函館空港に到着すると、歳三の足跡に大変詳しいガイドをされている白鳥様が出迎えてくださいました。
今回、函館、江差、松前とスケジュールを組んでいただきました。

空港から中心地に車で移動しますが、箱館の歳三や幕府軍の足跡を辿りながら向かっていきます。


湯倉神社。湯の川温泉発祥の地。榎本武揚軍は傷病兵をこの湯で療養させたとある。


五稜郭から箱館山へ向かう直線道路は当時の旧道。


松川街道。歳三が最後に駆け抜けた道だそうです。


箱館山方面から新政府軍は行軍してきた。


沖之口番所跡。新選組が市中見回りのために使った番所。
歳三が暮らしていた丁サ、新選組屯所にも近い場所にあった。


丁サ。歳三が箱館で過ごす時に使われた豪商「佐野専左衛門」宅跡とのこと。


新選組屯所跡。向かいの弥生小学校を含み「称名寺」があった所。


幕府によって建造された箱館丸の復元船。



明治33年9月に完成した函館港の防波堤。弁天台場の土塁石垣石が多く使われたとのこと。


石垣には弾が当たった丸い穴があるとの説明があった。


碧血碑慰霊祭建立140周年記念・直会に展示された武蔵野楼の古写真。
豊川橋のほとりにあった遊女屋で、屋形船でここに通うのが粋だったという。
明治2年、箱館戦争終結前夜ここで幕府軍最後の宴が催されたという。

武蔵野楼があった場所は現在埋め立てられ、このガソリンスタンド辺りとのこと。

明治2年5月11日(新暦6月10日)、歳三が倒れた一本木関門。
最期の地として、若松緑地公園内に碑が建っていますが、白鳥様によると、安全対策上そこにしましたが、実際に撃たれた最期の場所はこの道路の辺りだそうです。
そこに降り、手を合わせることができたことは、今回の函館での最も重要なことのひとつ。
ご案内くださった白鳥様に感謝いたします。


歳三最期の地はこの辺りとのこと。


つづきは「二股口」「江差」です。

現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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平成27年6月25日(木)

碧血碑建立140周年記念碑前慰霊祭、並びに直会が挙行されるにあたり
「土方歳三、姉の子孫」としてご招待があり、碑前供養させていただきました。

節目の140周年記念慰霊祭ということで、旧幕府軍ご子孫、函館碧血会ご関係者、一般の方々と多くの参加がございました。



午後二時より、碧血碑前にて慰霊祭が行われました。
実行寺の望月ご住職のによる力強い読経が始まるとともに、空気が一変し、御霊が静まるのを感じました。
実際にその場所にいることが、そこにいてこそ感じるものがあり、心を強く動かされ、自然と熱いものがこみ上げてくるのは、流れている血のせいでしょうか。



子孫、碧血会関係者、一般、そして最後は谷地頭保育園の園児さんがお焼香をして終わりますが、そのあと、折り鶴を作り参列している谷地頭保育園、園児に、感謝状が送られたシーンはとてもかわいらしいものでした。

このような慰霊祭が毎年続いていること、函館碧血会、また市民の皆さまが140年も守り続けてこられたことに敬服いたしますとともに、厚く感謝いたします。





(中島三郎助ご子孫と)

式典後すぐ、S様の車で「実行寺」に案内していただき、旧幕府軍戦没隊士等の墓前で望月ご住職等での読経、供養に参列させていただきました。
このご供養はどうしても参列したく、S様にお願いして計らっていただきました。
本当にこの場に呼んでいただいたこと、大変ありがたいことで、心に残る時となりました。

供養のあと、望月ご住職とお話しする機会をいただきましたが、お話しの一言一言が慈悲深く、胸も熱くなり涙する話しもしていただきました。
とても立派なご住職で感服いたしました。


(実行寺をあとに直会へ)

その後の「直会」は、ベルクラシック函館という会場で午後6時より開かれました。

「碧血碑建立140周年記念慰霊祭 箱舘戦争・旧幕府軍を偲ぶ会」
頂いた冊子のご子孫の紹介の欄を見ますと、
和田四郎氏(碧血会初代会長、和田惟一の子孫)藤野哲男氏(第三代会長、藤野正路の甥)
榎本隆充氏(榎本武揚の子孫)、土方愛氏(土方歳三、兄の子孫)、
小杉伸一氏(小杉雅之進の子孫)、中島恒英氏(中島三郎助の子孫)、
金田秀昭氏(伊庭八郎、弟の子孫)、天野淳司氏(荒井郁之助の子孫)、
好川之範氏(会津藩士、好川範之丞の子孫)とあります。

私は(土方歳三、姉の子孫)と記載されておりました。

この直会にも120名余りの方々が参加されましたが、このような盛大の偲ぶ会は初めてだそうです。


(伊庭八郎、弟のご子孫と)

祝宴では、コーディネーター・合田一道氏(ノンフィクション作家)によるご子孫の紹介があり、和田四郎氏、藤野哲男氏、土方愛氏に続いて、土方歳三姉子孫・佐藤福子氏と紹介を受けました。
ご挨拶方々、少しお話しをさせていただきましたが、
ここでは、土方歳三と小姓の市村鉄之助さんのことが一番相応しいのではないかと思い、お話しいたしました。



お話しを終え、テーブルに戻りますと皆さんから、素晴らしかったとのお言葉をいただき、びっくりでした。

会も終了に近づきますと、会場後方に展示された古写真の説明がございました。
明治2年の函館港を見下ろすパノラマ写真、明治初期の函館、旧幕府軍の肖像等。


(直会で展示されたパノラマ写真。明治2年)

以前、Kさんから
「函館の建物と街並みの変遷」という写真集を紹介いただいておりましたが、そこにパノラマ写真が10数点添付されておりました。
展示のパノラマも添付されておりましたが、これは箱舘戦争と同時期の函館を捉えており、「弁天台場」「称名寺」「実行寺」「旧幕府軍軍艦回天」「旧幕府軍軍艦蟠龍」なども見る事ができる大変貴重な写真でした。



閉会のあとは、ご子孫、新選組ファンの方々との記念写真大会となりましたが、本当に素晴らしい記念式典・偲ぶ会でした。
関係者の皆さま、本当にありがとうございました。



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午前中、ご予約のあった団体の来館者様を案内させていただきました。

佐久間象山、近藤勇、頼山陽の書の前で、深く感銘されておいでのお客様は書家の先生で、私も勉強させていただきました。

ふと後ろにあたたかく見守っておられる紳士様。
藤巴の家紋の名刺を頂きました。
代々の名家で内閣総理大臣も務められたご先祖がおられる末裔の方でした。

素晴らしい出会いを頂戴し、感謝でございました。


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恒例となりました「ザ・ウエスト・パーティー」の演劇公演。
彦五郎を中心とした物語は、一昨年の「田園の志士たち」、昨年の「真夜中の邂逅(かいこう)」に引き続き、3度目となります。

内容も深く、立ち回りも見応えのあるものでした。
ご覧になられたお客様からも、「凄い迫力で感動した」「彦五郎さんが身近に思えました」とのお声を多くいただき、私も大変嬉しくて涙が出たことを憶えております。

その時、脚本、演出の大村氏から「また来年もありますから」との言葉を聞き、耳を疑いましたが、今年の8月29日、30日、日野市の七生公会堂で行われることが決まりました。

これまでは、お芝居の最後に壇上に上がり、ご来場の皆様方にごあいさつの場を頂きました。
今回は最終章「北の果ての理想郷」のタイトルで構成されたお芝居になっております。

そこで私も微力ながら、参加、出演させていただける事となりました。

昨日から基礎練習と台本の下読みを始めましたが、出演者の皆さまの足を引っ張らないよう、どこまで出来るかわかりませんが、ザ・ウエスト・パーティーの面々とひとつの芝居が出来るまでを体感致したいという思いで、無謀なことに取り組んでおります。

彦五郎、歳三の血を受け継いだ子孫が出演する最初で最後のお芝居をなります。
是非、皆さまに見ていただきたくお知らせさせていただきました。
ちなみに何役を担当するかは、当日までのお楽しみです。

詳細が分かりましたら、随時お知らせいたします。



現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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先般お祝い事があり、12日から一泊で箱根に行って参りました。

翌日、箱根を少し観光いたしましたが
下調べしていたところ「箱根武士の里美術館」という処に、井上源三郎の鎧が展示されているとの記述があり、大変驚きました。
鎧とは鎖帷子のことでしょう。
これは是非この真相を確かめなくてはと思い、急遽行く方向で計らっていただきました。

先ず箱根神社に参拝いたしました。



ここはパワースポットで、ご利益は、縁結び・金運・勝負運・開運など。箱根神社のお隣りには、恋愛の神様「九頭龍神社」の新宮があり、龍神水という湧き水が。龍神水は、恋愛運によいそうで女性も多く見かけました。




恋愛の神様「九頭龍神社」の新宮

お参りしたあと、予約していただいていたレストランで昼食となりました。


鳥居左側の茶色の建物が人気のレストラン

食事の後はいよいよ武士の里美術館へ。


箱根武士の里美術館の外観



展示室に入りますと井上源三郎さんの資料が3点ございました。(展示室は撮影禁止で画像はありません)

井上源三郎着用 鎖胴着(八重鎖仕立て)とキャプションがありました。これは歳三の鎖帷子と同様のものでした。

またその横には、「井上源三郎着用 腹当(加賀仕立て)」(剣道の胴着のようなもので、きれいな状態でした)
それに、「忍 源三郎 額金(六枚薄金仕込み)」が並んでいました。額当の布地には筆文字で「忍 源三郎」とあります。

新選組関係では「隊士粛清用に使われたと云われる脇差」「池田屋討込時使用の贋灯」がありました。

ここには500点以上の展示品があり、日本一の大太刀(据共2m)銘、三条宗近には驚きました。戦国時代、馬に乗っている兵士を斬るものだそうです。
他にも徳川秀忠佩用の太刀や、固山宗次 固山宗俊(山田吉豊太々、試切の銘入)、相州広次(紀州家伝来)、兼元(関の孫六)、それに胴田貫の大身の槍(据共3.5m)。

その他、鉄砲、弓矢。鎧、兜(甲冑、大鎧は20領以上が展示されています)
また、茶道具、櫛。浮世絵、美人画、能面などもありました。

現在この「武士の里美術館」を設営されたお嬢さんが経営されていますが、井上源三郎さんの遺品がどういう経緯でここにあるのかということをお伺いしたところ、亡くなったお父様がコレクションしたもので、全く分からないそうです。

とにかく驚きの美術館でした。

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今月1日にオープンしたばかりのカフェ「 花豆」に行ってきました。

ここは、彦五郎の四男・彦吉の養子先であり、日野宿本陣(彦五郎邸)の御前の間と上段の間が曳家で移された有山家分家です。

有山至さん、敬子(ゆきこ)さんご夫妻が開いたお店で、ご主人の至さんは日本テレビのディレクター、プロデューサーで24時間テレビやドキュメンタリー、ごちそうさん等を制作され、大変なグルメなご夫妻です。

当資料館から用水路沿いに東へ100mほど行くとカフェ「花豆」があります。




(用水路沿いにある入り口。2時半すぎに伺いました)


(メインのダイニングテーブル、テラス席もあります)






(2人用のテラス席)

大きいテーブルのテラス席でいただきましたが、お天気も良く、風が気持ちよかったです。


(最初にいただいたのが、ガスパチョ〈小〉スペインのスープです)


(ケサディーヤとサラダ。多種の野菜が沢山で満足しました)


(自家製ハムは絶品!お薦めです)


(花豆と抹茶寒天のデザート。花豆が大きくてやわらかでした)


(食用ほおづきとゼリーのデザート。抹茶と合います)

最後にコーヒーをいただきました。

他のお客様が帰られたあとは、ご夫妻とのお話しに花が咲き、5時までお邪魔してしまいました。


cafe花豆(有山)
営業日は 土・日・祝日(2、8月、年末年始はお休み)
営業時間は10時〜18時
住 所 東京都日野市日野本町1−15−9
電 話 042ー583ー9458
e-mail a-yukiko@smile.ocn.ne.jp
twitter cafehanamame


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昨日、ひの新選組まつり・隊士コンテストで、
16代ミスター土方に選ばれた笹田千尋さんが、
函館五稜郭祭の土方歳三コンテストで第三位になったとのご報告を兼ね、
ご挨拶にいらして下さいました。
おめでとうございました。

わざわざご挨拶に来ていただいたこと、大変嬉しく存じます。

「彦五郎さんに支えられた歳三さんをアピールしてきました」と
嬉しい言葉をいただきました。

函館五稜郭祭は、ひの新選組まつりのコンテストとは異なり、パフォーマンス重視だそうで、来年もまたチャレンジするそうです。
がんばってくださいね。



現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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