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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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平成27年10月25日(日)

宮川豊治様、宮川清蔵様 ご主催の「第28回・近藤勇談話会」で講演をいたします。

平成17年「近藤勇談話会」で、お話しさせていただいておりました。
今回、2回目となりますが、宜しいでしょうか?と宮川豊治様にお伺いいたしましたが、是非にとのことでした。
お忙しいことと存じますが、ご参会下さることを心からお待ちしております。

日 時:平成27年10月25日(日)午後2時〜4時

会 場:調布市文化会館「たづくり」11F 1103号室
    (京王線 調布駅南口 下車3分)

お 話:① 宮川豊治氏(近藤勇生家10代目)
      (2:00〜2:20)
      〔休憩10分〕
    ② 佐藤福子(佐藤彦五郎新選組資料館館長)
      (2:30〜4:00)

※参加費 無料

※「第28回・近藤勇談話会」講演会は、宮川様にお伺いしたところ、予約の必要はないそうです。当日、会場にお越し下さい。

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大國魂神社 勇武館道場 天然理心流奉納演武

平成27年10月12日(月)大國魂神社にて演武が行われますが、私も宮川清蔵様からのお誘いがあり、当日午後1時すぎに伺います。

江戸後期、多摩地方で育った天然理心流は、一戦必勝の強靭な剣術で、幕末京都の治安を守った新選組・近藤勇、土方歳三等が使った剣術ですが、
現在も、新選組ゆかりの子孫を中心に今日まで連綿と受け継がれている「誠」の心を守った道場です。

文久元年八月二十七日府中六所宮(大國魂神社)で近藤勇の宗家四代目襲名披露の野仕合が行われました。
その際、六所宮では大掛かりで作成された天然理心流の奉納額(現在は焼失)

また、彦五郎もよく所用で府中に行ったようですが、私も小・中・高校と府中に通っており、大変関わりの深いところでございます。
昨年は、大國魂神社(六所宮)での奉賛会にて、「土方歳三と六所宮」の講演会をさせて頂きました。

お時間がございましたら、皆さまご参拝を兼ねてご見学下さいませ。

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「ダイヤモンド✡ユカイの歴史浪漫」の収録が当資料館で行われましたが、
J:COMチャンネル関東(地上デジタル11ch)で放送中です。

後編「新選組のふるさと歴史館」「日野宿本陣」「佐藤彦五郎新選組資料館」をダイヤモンド✡ユカイさんが見学していきます。

再放送(関東)は、8月25日(火)21:00〜21:30ですが、
他の日にも何回か再放送をしているそうです。
(J:COM日野は下記の通りですが、地域によって放送時間は区々です)
  23日(日)11:00〜11:30
  26日(水)8:30〜9:00
  27日(木)16:00〜16:30
  28日(金)14:00〜14:30


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NHKの歴史秘話ヒストリア
「あなたのココロを一刀両断・日本刀ものがたり」で、
当資料館所蔵の近藤勇が彦五郎に宛てた書状(歳三の刀、和泉守兼定について書いた部分)が紹介されましたが、22日に再放送が予定されています。

【再放送 平成27年7月22日(水)14:05~14:48総合】

この近藤勇書状は、文久三年十月に書かれたもので、「八月十八日の政変」「三条縄手の戦い」等、京都の状況報告がされています。

手紙の書き出しは、「彦五郎が浪士組一統に乱暴を慎むようにと注意、それに謝し、七月以後は慎んでいること」と始まり、
「新選組に長州藩の間者が潜伏しており、これを殺害したこと」
「尊兄のお宅における酒宴のことを思い出しては一刻も早く帰りたいが、国家の大義を思えばそれもならず、私の心中をご賢察ください」
「近藤氏一人で浪士組を総括取締中で片時も離れられず、老父近藤周斎を心配し、留守中の道場についての彦五郎の配慮に感謝」

そして、番組で放送された部分の
「土方歳三も無事でいること。刀が和泉守兼定二尺八寸、脇差が堀川国広であることに言及し、荒木又右衛門の例をひき、脇差は長いほうが良いという刀剣談義」が書かれ、
最後に「再び留守宅、道場のことをよろしく願い、井上、小嶋、橋本氏、門人一同へ呉々もよろしくとの挨拶」締めています。

(以上は、「軌跡Ⅱ 日野古文書を読む会」より引用/「軌跡Ⅱ」は、当資料館で販売中)

この時、歳三が所持していた和泉守兼定は、二尺八寸もある長い刀だったことが分かります。





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先般お祝い事があり、12日から一泊で箱根に行って参りました。

翌日、箱根を少し観光いたしましたが
下調べしていたところ「箱根武士の里美術館」という処に、井上源三郎の鎧が展示されているとの記述があり、大変驚きました。
鎧とは鎖帷子のことでしょう。
これは是非この真相を確かめなくてはと思い、急遽行く方向で計らっていただきました。

先ず箱根神社に参拝いたしました。



ここはパワースポットで、ご利益は、縁結び・金運・勝負運・開運など。箱根神社のお隣りには、恋愛の神様「九頭龍神社」の新宮があり、龍神水という湧き水が。龍神水は、恋愛運によいそうで女性も多く見かけました。




恋愛の神様「九頭龍神社」の新宮

お参りしたあと、予約していただいていたレストランで昼食となりました。


鳥居左側の茶色の建物が人気のレストラン

食事の後はいよいよ武士の里美術館へ。


箱根武士の里美術館の外観



展示室に入りますと井上源三郎さんの資料が3点ございました。(展示室は撮影禁止で画像はありません)

井上源三郎着用 鎖胴着(八重鎖仕立て)とキャプションがありました。これは歳三の鎖帷子と同様のものでした。

またその横には、「井上源三郎着用 腹当(加賀仕立て)」(剣道の胴着のようなもので、きれいな状態でした)
それに、「忍 源三郎 額金(六枚薄金仕込み)」が並んでいました。額当の布地には筆文字で「忍 源三郎」とあります。

新選組関係では「隊士粛清用に使われたと云われる脇差」「池田屋討込時使用の贋灯」がありました。

ここには500点以上の展示品があり、日本一の大太刀(据共2m)銘、三条宗近には驚きました。戦国時代、馬に乗っている兵士を斬るものだそうです。
他にも徳川秀忠佩用の太刀や、固山宗次 固山宗俊(山田吉豊太々、試切の銘入)、相州広次(紀州家伝来)、兼元(関の孫六)、それに胴田貫の大身の槍(据共3.5m)。

その他、鉄砲、弓矢。鎧、兜(甲冑、大鎧は20領以上が展示されています)
また、茶道具、櫛。浮世絵、美人画、能面などもありました。

現在この「武士の里美術館」を設営されたお嬢さんが経営されていますが、井上源三郎さんの遺品がどういう経緯でここにあるのかということをお伺いしたところ、亡くなったお父様がコレクションしたもので、全く分からないそうです。

とにかく驚きの美術館でした。

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5月23日(土)
第二回目「小島家古文書の中の新選組記事」の講演会があり
町田市生涯学習センターに行って参りました。
(先月、第一回目は多摩パルテノンでの講演会でした。)

丁度、受付で、近藤勇ご子孫の宮川清蔵氏とご子息の清志氏とご一緒になり、
三人並んで、特等席に案内されました。

宮地正人先生による「新選組の諸問題」の講演は90分に及ぶ熱弁で
聞きごたえのある内容でした。
東大名誉教授ならではの、裏付けをしっかり調べられた、説得力のあるお話しで
私も資料館を運営する立場として、ウソのない史料の展示と説明が、いかに大切であるかを改めて痛感いたしました。



当日は菩提寺のお施餓鬼会でしたが、主人に任せて講演会を拝聴することが出来、本当に良かったと存じました。



現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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昼食の後は「白虎隊記念館」の見学、その後「飯盛山」へ。

次の白虎隊記念館では、早川館長直々にご説明いただきました。
ここでハプニングが・・・
なんと會津史研究家の伊藤哲也氏が待っておられました。
伊藤氏お勧めの資料があるようで、何点か案内いただきました。


(伊藤氏が示された新聞記事。一面に大きく掲載された)


(白虎隊記念館の後、飯盛山へ。雲ひとつない良いお天気でした)

皆さんは、ここを見学した後、飯盛山に行きましたが
早川館長ともお話しするため、私だけここで別行動となりました。

数年前、天寧寺のお墓を掘り返して調査する計画があったそうですが、
あまりにも失礼なことと館長が止めたそうです。
何が入っていても、歳三がこの地にと、松平容保公に請願して建立したお墓ですから、それで充分です。
手を合わせる場所が、会津にあって本当に有り難く思います。

この時、白河市の新選組等歴史研究サクラプロジェクトの安司弘子氏から、携帯にご連絡をいただきました。
丁度、会津でお知り合いの方々をご案内をされていて、すぐ近くに居られたとのこと、時間が合致し、お会いすることができました。
このような偶然は、目に見えぬ力としか言いようがありません。



このあと須賀川駅まで最後のバス乗車となり
私は私用があるため、新選組特別列車「宴」の出発を、須賀川駅駅長さん、駅員さんたちと共にお見送りさせていただきました。


(須賀川駅前にはウルトラマン像が。円谷さんの出身地だとか)

皆さんと別れたあと、私は新幹線に乗るため、新白河駅へ。


(車窓からは、白河小峰城が見えます)

後日、JR東日本の芝元さんにお聞きしましたが
帰りの列車では、皆さん仲良くなり盛り上がったそうで、カラオケルームを解放したそうです。
無事、時刻通り、立川駅、八王子駅に着いたとのこと。

1泊2日の旅、皆さま不安な出発だったことでしょうが、2日間を共有し新選組の絆ですっかり結ばれました。



現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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ひの新選組まつりの準備等のため、会津旅行が中断しておりました。

さて、近藤勇さんのお墓がある天寧寺へ。

天寧寺への入り口「まちに歴史あり」の案内板を読みますと
なんと「近藤勇の遺髪が納められている」と・・・
またお墓にあるライオンズクラブの立て札には
「新選組隊長の首が・・・」とありました。
昨夜の講演会でも少しお話ししました白木の箱、会津小鉄説、何かが入っている様です。


(天寧寺入り口にある看板)


(お墓にある看板には、隊長の首が?)

久しぶりの天寧寺でしたが、道が整備されたように思えました。
墓前では参加者全員が手を合わせて下さいました。


(近藤勇さんの墓)

墓石の大きさから、容保公と歳三ふたりの、近藤勇さんに寄せた熱い気持ちが伝わってきます。


(お墓から見た風景)


次の会津武家屋敷も見応えがありました。



西郷頼母さんのお屋敷は38部屋と、とてつもなく壮大なものでした。


(自刃の間)
会津藩家老西郷頼母の家族はこの部屋で21人が自刃しました。

武家屋敷は広い敷地だったのですが、偶然にも坂本龍馬さんを斬ったとされる佐々木只三郎さんのお墓を見つけることができました。


(佐々木只三郎さんのお墓)

その後、会津とらぞうにて昼食です。
釜飯に会津そば、郷土料理を堪能いたしましたが
そばもコシがあって、美味しくいただくことができ満足でした。

ここ会津とらぞうでは、白虎隊の剣舞も見られました。

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歳三が宿泊したと云われる清水屋旅館。

ここ七日町通りは、明治・大正・昭和初期に建てられた蔵や洋館も多く、レトロな景観を楽しみながら、清水屋旅館跡に到着しました。


(洋館も多い)


(清水屋旅館跡。現在は銀行に)


(歳三の他にも吉田松陰、新島襄・八重も)

歳三がここに入ったのは29日夕刻で、負傷した足を東山温泉で湯治したと伝わっています。

この建物は大正初めまで存続していましたが、昭和初期に取り壊されたとのことです。

バスの駐車場に戻る時、あまりにも素敵なルネッサンス建築物を見てしまい、中に入ったところ、どうぞ見学してくださいとの事。
2階が展示室になっていましたが、内装も素晴らしい造りでした。
大正三年竣工、土蔵三階建ての会津初の洋風建築は「白木屋」さんでした。




(階段も素敵です)


(二回展示室)

バスの集合時間がせまる中、コンビニで福島新聞を購入することに。
今朝、ホテルのロビーで新聞を読んでいたところ
「昨日、天寧寺にて、近藤勇墓前祭が行われた際、宮川清蔵氏と門弟の方々が演武を奉納」の記事とお姿が載っているではありませんか。
これは是非購入して持ち帰りたいと思っておりました。

しかし、この七日町通りのレトロな建物はもっとゆっくり楽しみたいところでした。

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4月26日
二日目は、新選組ゆかりの地をバスで巡ります。
今回の有料施設の見学は、ツアー料金に含まれているとのことです。

ビュッフェのおいしい朝食後、斎藤一さんの墓がある阿弥陀寺へ。



特別公開されている御三階の内部を、ボランティアガイドさんの説明を聞きながら見学しました。
(6月末まで公開しています)
ここでは松平容保公晩年の肖像画と脇差の展示がございましたが、これを見るのは初めてでした。



ガイドさんに脇差の銘をお聞きした処、無銘とのことでした。


(松平容保公の肖像画は初めて見ました)


(斎藤一の墓)

藤田五郎(斎藤一)さんの墓前に皆様と手を合わせました。

『会津戊辰戦争では、西軍が城下に迫ったとき「会津城(松平容保公)あっての新選組、見捨てることは出来ない」と隊士十余名と会津に残り仙台に向かった土方と別れた。』
とあり、会津人として生き抜いた信念が心に響きました。

大河ドラマ「新選組!」の翌年(10年前)、斎藤一忌に土方家とともにご招待を受け、参列させていただきましたが、、斎藤一ファンの皆さんでいっぱいになったことが印象に残っています。


この後、会津新選組記念館へ。



ここは、古い蔵を改築したような館で、1階は「骨董むかしや」2階が資料館になります。
会津藩や新選組、旧幕府軍の資料、戦った新政府軍等の資料がありますが、
その中には芹沢鴨さんの鎖帷子(伝)や、新選組隊士の鉢金などの展示。
会津藩稲富流砲術家の館長の資料館とあって、コレクションした銃がたくさんありました。


(會津の旗をご持参のKさんたちと)


(新選組ポスト。現役で使用されています)

次は、宇都宮で足を負傷した歳三が、療養のため宿泊したと云われる清水屋旅館へ。



現行のHPはこちらです↓
佐藤彦五郎新選組資料館 HP

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