「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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先日、日野宿本陣で、日野宿楽市楽座文化講座「篠笛と落語の会」に参加させていただきました。
午後6時からでしたが、最初に篠笛の演奏がございました。 女性3名での合奏で、竜笛とは違い、シンプルで素朴な音でした。 それぞれ、10本近く、何種類もの篠笛を持っていて、大きな袋にそのまま入れております。 擦れたり、傷ついたりするのでは?と心配してしまいます。 聞けば、貴族や武家など上流階級が用いた「龍笛」「能管」は、巻き・塗りなど装飾が施されていますが、「篠笛」は、庶民階級の間で愛好されてきた笛で、竹の割れ止めに藤を巻いている以外ほとんど装飾することなく、竹そのものといった簡素なものだそうです。 当資料館には、歳三が愛用した「龍笛」がございますが、黒塗りのケースに絹製の袋があり、傷つかない様式になっています。 彦五郎は、名主だったこともあり、文化人たちとの交流も盛んでした。 歌を読んだり、書を嗜んだり、楽器を演ったりと・・・ 日野宿本陣で、このような演奏が行われることは、この屋敷が潤う時間かも知れませんね。 PR |
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先日、福島県で被災され、息子さん宅で避難されている方が、来館くださいました。
新聞記事で、当資料館が義援金を送ってくださった事を知り、お会いしたかったとのこと。 お礼を述べられたので、私どもは何もお手伝いすることは出来ず、申し訳ありません。被害は如何ですか?と訊ねますと、床上浸水で、生活できる状態ではないこと、知人が亡くなり、それを思うと命があっただけでも、まだ良かったと。 でも、テレビ等で、被災された方々に向けて「がんばってください」と言われます。ありがたいのですが、皆さん何とかしなければとの思いで、一所懸命がんばっていますし、ご家族を亡くされた方々は、どう頑張ればよいのでしょう?とも。 わたくしも同感でした。 そのお気持ち、分かります。むしろ、頑張るのは、こちらほう、私たちがしなくてはいけないのではないかと思いでした。 こういうお話ができて良かった。来て良かったです!と何度もおっしゃってくださいました。 少しはお役に立てられたらいいのですが・・・ |
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春間近と思っていたのですが、寒い一日となりました。
今回、初公開のひとつ、歳三が彦五郎に宛てた書簡ですが、 実はわたくしの父が亡くなった折、菩提寺である大昌寺様に母が永代供養にと奉納した書簡でした。 一度佐藤家から離れた手紙です。 二か月だけの展示で、お借りするべく、借用書と共に伺った処、杉浦御住職様から思わぬ言葉を頂きました。 「私が持っていても、誰が見てくれる理ではないですし、資料館も出来た事なので、そちらで保管されたら」と。 私は耳を疑いました。 「母の供養の気持ちですから」と遠慮させて頂いたのですが、 「是非どうぞ」と申されました。 ご好意に甘え、大切に風呂敷に包んで持ち帰って参りました。 丁度、三十年ぶりの帰宅です。 ご覧いただくと解りますが、書簡の前後には、奉納時の母の手書きが添えられております。 杉浦御住職は配慮されて 「ここを隠せば展示できるでしょう」 とおっしゃって下さいましたが、私はこのまま展示させていただきます。御住職の御厚意を見に来られた皆様方にお伝えしたいです」と申しました。 風呂敷を解いて、初めて読んだ処、急を要したのでしょう。「飛札」として彦五郎に宛てたものでした。 歴史の一ページを子孫に残し、御厚意を語り継ぎたいと存じます。 |
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この度の東北関東大震災による被災者の皆様方へ、心よりお見舞い申し上げます。
また、皆様方のご安全と一日も早い復旧をお祈り申し上げます。 11日、午後2時26分、私は日野宿本陣の向かいにある日野宿交流館で、古文書を読む会に参加しておりました。 会員の皆様とご一緒でしたので、心強かったのですが、今まで経験したことのない揺れに、思わず涙目になってしまいました。 また当資料館にも、皆様にはご心配のメール等を多々いただきましたが、幸い何の被害もなく、お気遣いいただき誠に有難うございました。 3月20日(日)は予定通り開館させていただきます。 輪番停電の可能性もございますが、日野へお出でになられる事を楽しみにされていた皆様方のためにもと判断いたしました。 当日は、日野宿本陣も開館しておりますので、併せてお待ち申し上げております。 次回の『福子だより』は、山南忌の様子をお届けさせていただきます。 |
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「血梅」と呼ばれる、近藤勇ゆかりの梅がございます。
この血梅は、もともと八王子千人町の千人頭・石坂弥次右衛門の屋敷内に植えられていた梅で、 文久一、二年の頃の早春の一日、この石坂家を井上松五郎の案内で近藤勇が訪れた。 弥次右衛門も快く迎え入れ、種々談笑したが、近藤勇は庭に咲く血梅を目にとめて、慎ましく咲く様を激賞した。 弥次右衛門も「それほどお気に入りならば」と後日接ぎ木か取木をして贈ることを約束した。 しかし、この約束は、文久三年近藤勇が浪士組に参加して上洛し、新選組局長として京都市中取り締まりのに当たったが、激動する時代に抗しきれず、慶応四年四月二十五日、板橋刑場の露と消えたことにより果たされることはなかった。 (日野の歴史と民族 新選組を語る1より中略) この血梅が、当資料館近くの谷享司氏宅の庭に植えられております。 ここは、そば処「日野宿 ちばい」という手打ち蕎麦屋さんで、おそばを食べながら、血梅を見られる風情のあるお店です。 血梅の時期のみですが、当資料館所蔵の太田蜀山人書のそばの文(掛軸)が展示してございます。 享司氏の打つ蕎麦も逸品ですので、お薦めです。 只今、満開ですので、お問い合わせしてみては、如何でしょう? お問い合わせ 090−1859ー4351 11時半〜14時まで 月曜定休 なお、2月20日(日)と27日(日)は残念ながら臨時休となっております。 |
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