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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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父の著「聞きがき新選組」P91
「八王子壷伊勢屋の乱闘で、彦五郎は銃弾が太刀の柄に当り、一命を取り留めたが、死者二名。馬場市次郎(前日野市長の御先祖)と山﨑兼助であった。兼助は菩提寺である大昌寺の梅の樹近くに埋葬した」と書かれている。
私も住職のお母様にお尋ねしたところ、解らず、頭の中で何年も引っかかっておりました。
5月14日、佐彦会の松崎会長からのお誘いがあり、お墓参りが叶いました。
いくつもの偶然が重なり、佐彦会の会員のお一人が兼助のご子孫で、昭和38年頃、ご実家近くのお寺へ墓石を移されたとのことでした。
立派なお寺で、墓石も当時のまま残されており、戒名「先譽勇進信士」山﨑兼輔(やまざきかねすけ)とありました。
ご子孫のお宅で佐彦会メンバー8名、ご子孫3名と共に談笑し、家路に着きました。
翌日、「兼助に関する文書があったはず」と調べておりましたら、彦五郎の覚書「岡引 山﨑兼助後家かめ、扶持米請取」明治元年12月29日の文書を発見致しました。
彦五郎の長男、俊宣の字で兼助の人柄を語った文も添えられており、「正直一途、剛毅活立総テ負ルヲ浴セス狭気ノ風アリキ、日野宿 余ノ貸家二長子三人ニテ永住ノ者ナリ、余ノ家族ヘ同様出入」
江川太郎左衛門代官の命により浪人捕縛の為、腕利きの兼助をメンバーに加え、命を落とした事は、彦五郎もどれ程心を痛めた事か。
岡引 山﨑兼助の人物像を知る事となりました。

次は、横浜歴史博物館へ象山掛け軸出張の話し。

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