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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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6月17日(日)
彫刻家の金子マコト氏が、新しく作られた『土方歳三の座像』をお納めに、来館されました。

ご丁寧に、彩色のものと無彩色のもの、2体をお持ちくださいました。
無彩色の座像も銅像のようで歳三らしく、彩色の方は重みがあり、どちらも素晴らしく選びかねておりましたところ、2体置いていってくださいました。

写真の歳三を丹念に見て制作されるそうですが、襟に隠れたポケットを見つけてしまうと、やり直したりの繰り返しで、完成まで1年がかりだったそうです。
妥協を許さない金子氏の姿と歳三が重なり、前回の馬上の歳三も迫力あるものですが、こちらの作品も素晴らしい出来となっておりますので、是非多くの方に見て頂きたく思います。

昨年のN.Yでの展覧会のお話も伺え、大成功だったとのこと。大枚を叩いても作品を欲しいというお客様もいらしたそうで、益々のご活躍を楽しみにしております。

作品は大切に展示させていただきます。
改めて心から感謝申し上げます。











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昼食が終わり、羽生家に向かいました。

これまで、門内に入ることは出来ないと思っていたのですが、私が是非にと希望をお伝えしたところ、羽生謙五氏が心良く承知してくださり、羽生家見学が実現致しました。

お約束の時間より少し早かったのですが、すぐに対応してくださり、羽生さん自身が今回の見学のために作られた、4ページのガイド資料を皆さんに配られました。



先ず、150年前にお世話になった羽生家のご先祖様に手を合わせて頂きたく思い、お墓参りをお願いしました。
道を挟んだ向かいにある羽生家のお墓は墓石が沢山並んでおり、そこでお線香をあげ、ご供養させていただきました。



その後、周辺を散策致しましたが、油屋地蔵でのご説明があったり、前回、見つけることができなかったヒメザゼンソウの花をKさんが見つけ、やっと見る事が出来ました。本当に小さくて「ずきんを被った親指姫」と例えられていますが、可愛らしい姿でした。



40分ほど過ぎたでしょうか、いよいよ待望の羽生家屋敷内へ。
側にある通用門から入りましたが、このあと2時間余り、お庭から倉の中、さらに主屋の中へと、広い屋敷の中を懇切丁寧にご説明を頂けました。
これは思いもよらぬパプニングの連続でした。


(羽生家の東側、黒塀の奥に通用門があります)


(表大門。たいへん大きな薬医門です!)


(蔵は全部で6戸前あります)


(3階建ての大蔵)


(主屋の西側にある書院)




(玄関から家の中へ)

主屋の玄関から座敷に上げて頂くこととなりましたが、まさか座敷とは思っておりませんでした。子孫同士が150年の時を経て、タイムスリップしたような感覚になりした。
三条実美の書を始め、いくつかの書があり、金屏風、金に漢詩書の襖、金に墨絵の襖、春夏秋冬が描かれた襖、襖だけでも素晴らしいものでした。
羽生家代々のご説明があった後、近藤勇の書簡を披露されました。



和紙の包みから取り出された近藤勇手簡は、当時のままの状態で保存されており、別に「関東之魁傑近藤勇手簡」と書き添えがありました。
間近に近藤勇の手紙を見る事ができたことは、この見学会のサプライズであり、驚きと感激が入り混じったようでもありました。

当家の伝承では、彦五郎が置いていったものとされておりますが、この辺の経緯についてははっきりとしません。
多くの説が『羽生家に潜伏していた時期があったことから、近藤勇の書簡を預かっていた彦五郎が、置いていったものと推定される』とあります。

羽生家も同じく、徳川に準ずる幕府側でしたので匿っていただいたのですが、羽生氏曰く「近藤の手紙が預けられたのは、(羽生家が)口が固かったからと考えられます」とのことでした。

羽生家訪問は、念願でもあり、まさに夢のようなひと時を過ごさせていただくことが出来ました。このような機会を持たせて頂いた羽生謙五様に、感謝申し上げます。


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「戊辰戦争 菊と葵の500日」展があり、国立公文書館に6月12日、行って参りました。

Ⅰ 開戦〜鳥羽伏見の戦い〜 から Ⅳ 終幕〜五稜郭の戦い〜 までの戦闘記録の展示でした。
東軍、西軍の記録、日記がこれ程、多く残されていた事に驚きながら、一通り見学し、もう一度ゆっくり回ろうと戻った時、新聞記者の取材のため、学芸員さんの説明が始まり、ちゃっかり聞く事が出来ました。

斎藤一の負傷に松本良順が治療を受けた文書の前で「新選組ファンが随分来館しました」と学芸員さん。
そうでしょう、私が見ている時も女子二人組の方が
「あっ、土方歳三さんの名前がある〜!」と興奮していました。

鳥羽伏見戦の錦絵レプリカが展示ケース後ろの壁に貼ってあるのですが、
「これは一週間前、調べていたら発見し、慌てて展示しました。錦の御側が書かれています」と。

フラッシュ禁止ですが、全てカメラ撮影ができます。そして資料の閲覧も出来ます。

五稜郭の図の展示がありますが、建物と堀の寸法が細かく書かれていて驚きました。
この現図は、6月15日までの展示で、以降はパネル図となるそうです。

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平成30年6月10日(日)
福子倶楽部会員の皆さんと、念願だった八王子市日の出町大久野の羽生家に行って参りました。
羽生謙五氏の計らいで、羽生家屋敷内に通していただき見学することが出来ました。
羽生家との関わりは、勝沼戦争で惨敗し、逃走した彦五郎らを匿ったのが羽生家でした。

慶応4年3月6日、甲州勝沼戦で敗走した甲陽鎮撫隊、共に戦った佐藤彦五郎率いる春日隊は賊軍とされ、「日野の彦五郎は草の根分けても見つけにゃ於かぬ」と狙われてしまいました。
9日、日野に戻った彦五郎は新政府軍の捜索に備え、一家散り散りになって身を隠しました。
河野清助日記には「農兵夕方返ル。・・・諸家ニテ物ヲカタ付ル。鎮撫隊、夜中逃去ル、鎮撫隊・日野農兵、朝敵ノ名ヲ請ル」と、朝敵になったので、大事な物を片付けよ。との指令が出たことが分かります。

彦五郎(42歳)は、新選組書簡類を携えて、妻ノブ(38歳)と末娘トモ(5歳)を下女アサ(18歳)に背負わせ、八王子小宮村北平の名主・平氏の案内で大蔵院に匿ってもらいます。しかし、粟の須井上忠左衛門からの官軍迫るの知らせがあり、裏から山伝いに逃げ、井上家下男がトモを背負いながらの道案内で二宮村の茂平宅に辿り着き、さらに茂平の案内で大久野村の羽生家に着きました。
すでに夜中の1時頃でしたが、「皆起き出て茂平氏より詳細を聞き、驚きながらも同情され、奥座敷で食事万端手厚い待遇を受け、安心して寝に就くことができた」とあります。

日野の佐藤家から大久野村の羽生家までは、優に20km以上はあるでしょうか、大変な逃避行だったと想像されます。

当日は台風が近づいていることもある、お天気が心配でした。

午前10時、JR福生駅に集合。皆様、時間迄に集合下さり、ありがとうございました。



羽生家見学は午後1時過ぎの予定でしたので、先ずはバスにて、塩澤山寳光寺から鹿野大仏へ。
小雨の中でしたが、坂を登って趣きのある羅漢様に出迎えて頂き、階段を上ると立派な山門があり、正面に本堂のあるお寺です。









お寺を抜けて駐車場から見える大仏様を目指して、ゆるい山道を歩くこと10分程、新しく出来立てのお姿は、なんとも慈愛に満ちた光を放たれておりました。
下見で伺った時は晴天でしたが、この日は肌の色が何とも深緑に輝き、回りの山も幻想的でした。小雨の時もお薦めです。






(かつて、ここに温泉が出たそうで、賑わったそうです)

この後、バスで武蔵五日市駅まで行き、12時から予約してあった駅近くのレストランで昼食を摂りました。





13時のバスで羽生家に向かいましたが、羽生家見学については次回お伝えいたします。


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6月3日(日)
本日、演劇・TAFプロデュース、担当の林さんが、再びお出でくださいました。

6月8日から、幕末疾風伝・MIBURO〜壬生狼〜のお芝居をされますが、事前調査で当資料館と旧佐藤彦五郎邸(日野宿本陣)を大変熱心に見学されました。

ひの新選組まつりの時、新選組同好会・流山隊の松下隊長と共に当資料館にいらしてくださいましたが、昨年、松下隊長がお芝居を見られたところ、素晴らしかったと太鼓判でした。



私と松下隊長は6月9日(土)昼の部に観劇させていただきます。

海外公演でも大成功を収めた実績がおありとの事です。
PRさせていただきます。








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寳光寺から西に進むと「日の出町大久野」という地区があります。

元々は「大久野村」というところでしたが、平井村と合併して日の出村、現在は日の出町となりました。

「幸神堂」という和菓子屋さんには、日米首脳会談を記念して作られた「ロンヤス饅頭」があります。



「大久野郵便局」は日本で最初のログハウスの郵便局です。



元郵便局だった「星宿Cafe」は白い素敵な洋館です。
入口のドアには、金曜日OPEN、ランチ&ケーキセットとありました。





理容所美容室100選に選ばれた「藤太軒理容所」は、昭和3年開業、建物は築90年経ちます。



「羽生家(上羽生家)」
代々名主を務めていた羽生家。官軍に追われた彦五郎は、のぶ、末娘ともと共に羽生家に潜伏していました。





門の左手には立派な土蔵が見られます。

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寳光寺〜鹿野大仏

先日、日の出町へ下見に行って参りました。

1)寳光寺
階段を上がって行きますが、両側に石像が見ながら山門へ。



上りきると立派な山門があり、金剛力士像が迎えてくれます。



山門をくぐると正面に本堂。左手には庭園、梵鐘などがあります。







2)鹿野大仏

寳光寺を出て駐車場を抜けると小高い山に大仏があります。



座像の高さは12m、台座が6mで立派な大仏です。







次回は「大久野村」近辺を紹介いたします。

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5月20日(日)
本日、「勝五郎記念碑」の除幕式に列席のため、高幡不動尊に参りました。

勝五郎とは、八王子中野村に住んでいる8歳の少年ですが、実はここに生まれる前は
、日野市程久保の藤蔵と言って、6歳で亡くなったと語り出したという。
生まれ変わり、転生録の話が日野に残っていたのです。

その記録は彦五郎の長男、俊宣が建碑のために碑文を書き、小島守政氏(小島資料館館長・小島政孝氏のご先祖)が添削をしていた記録文書を、私が10年ほど前、古文書の中から発見したことから、本日ここに特別に招待されることとなりました。



明治28年前後、俊宣は建碑のため、働きかけをしたようですが、どのような理由があったのか?実現までには至らなかったという経緯がありました。
この度の記念碑建立は私にとっても、感慨深く、また大変喜ばしいものでした。







「勝五郎生まれ変わり物語」は単なる作り話ではなく、輪廻転生と小泉八雲も海外で紹介しています。


(朝倉代表と)

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ひの新選組まつり_13日(日)

まつり前日、高幡不動尊にて隊士コンテストがございましたが、13日は隊士の皆様によるパレードが行われます。
日野宿をぐるりと回り、当資料館の前の通り(彦五郎通りと名付けられています)も通っていきますが、毎年2周するところ、今回は雨の影響で1周のみとなってしまいました。
本当に残念です。

パレードの隊士の皆様の、大変勇壮な堂々たる姿を拝見することができ、資料館から手を振りましたが、沿道も大いに盛り上がっていました。


今年のミスター土方。素敵です。


斎藤一さんも人気です。


源さんの姿、勇猛です。


馬上の近藤勇さんも勇ましい姿です。




皆様、お疲れ様でした。

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平成30年5月12日(土)
第21回ひの新選組まつり・隊士コンテストが行われました。

午前中、近藤勇・兄ご子孫の宮川清志様が当資料館にお出でになり、資料を見学された後、歳三忌、隊士コンテストにもご一緒致しました。

隊士コンテストでは、ご参加の皆様の気合の入った素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられました。
衣装から演技から、ここまで準備され、やっと迎えたコンテストですので、皆様の熱意に圧倒されるとともに、誰もが隊士役になれる実力を兼ね備えておられます。

さくらゆきさんも、MCや歌にと大変だったことと存じます。
いよいよ明日はパレード本番です。

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