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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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6月17日(日)
彫刻家の金子マコト氏が、新しく作られた『土方歳三の座像』をお納めに、来館されました。

ご丁寧に、彩色のものと無彩色のもの、2体をお持ちくださいました。
無彩色の座像も銅像のようで歳三らしく、彩色の方は重みがあり、どちらも素晴らしく選びかねておりましたところ、2体置いていってくださいました。

写真の歳三を丹念に見て制作されるそうですが、襟に隠れたポケットを見つけてしまうと、やり直したりの繰り返しで、完成まで1年がかりだったそうです。
妥協を許さない金子氏の姿と歳三が重なり、前回の馬上の歳三も迫力あるものですが、こちらの作品も素晴らしい出来となっておりますので、是非多くの方に見て頂きたく思います。

昨年のN.Yでの展覧会のお話も伺え、大成功だったとのこと。大枚を叩いても作品を欲しいというお客様もいらしたそうで、益々のご活躍を楽しみにしております。

作品は大切に展示させていただきます。
改めて心から感謝申し上げます。











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4月21日(土)
今年8月31日、札幌市教育文化会館にて公演されるマドリガーレ・オペラ「土方歳三最後の戦い」の監修・台本・演出をされる北海道教育大学の塚田康弘先生と医師・作家の廣瀬るみ先生方がおいで下さいました。

廣瀬先生は何度も当資料館においで下さり、歳三が嗜んでいた龍笛に注目され、オペラの場面に再現されるため、見学されました。

このオペラは、今までの「武人、土方歳三」とは少し異なり、「文人、土方歳三」にスポットを当てる演出を考えておいでとのお話で、益々上演が楽しみになりました。
また塚田先生は国立音大(大学院修了)の卒業、私の先輩で、キャンパスですれ違っている可能性もあることが判明致しました。
その様なご縁もあり、出来立てのスコアをプレゼント下さいました。
その後、ご希望で石田寺まで車でご案内、公演を前にお参り頂きました。

追い追い、チラシ、ポスター等、出来上がり次第、皆様にお知らせの予定でおります。

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日野宿本陣に、今年も梅の花が咲きほころびました。
佐藤家では、本陣の梅の木を「歳三梅」と呼ぶようになりました。
歳三の姉・のぶが14歳で彦五郎に嫁ぐと、10歳程から奉公として佐藤家で暮らすようになります。
歳三の豊玉発句集が佐藤家で発見された記述も残っておりますが、その中に梅を詠んだ句がいくつかあります。

⚫︎ 年々に 折られて梅の すかた哉

⚫︎ 咲ふれた 寒けは見へず 梅の花

⚫︎ 梅の花 一輪咲いても うめはうめ

⚫︎ 梅の花 咲るしたけに さいてちる

以上のような梅に因んだ句を詠んでいます。





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平成29年 大晦日 大つごもりとなりました。

朝から御節料理の準備で忙しくしておりますが、昨日は孫たちと餅つきパーティーをいたしました。
あんこ、きなこ、は子供たちに人気ですが、私は辛味餅が好きです。大根おろし、醤油、おかか、海苔をちぎってお餅に絡めます。

餅つきといえば、佐藤家では昔から12月28日についていたようで、29日は苦がつくと嫌ったとの事。

「12月28日、この日は丁度、近藤勇の稽古日。
佐藤道場から威勢の良い掛け声が響くなか、勝手口ではかん高い笑い声。
何事よと勇が出向いたところ、餅つきの最中であった。
「私にも」と杵を持った勇は大上段から大刀を振り下ろすがごとくで、うまくつけず、その点、歳三というと、つきながらおどけた格好をするものだから、周りから大笑いをもらっていた。いつもながら手際よく手伝うのである。」と彦五郎の長男の俊宣が書き残している。
佐藤家ならではの、勇と歳三のエピソードです。
「いつもながらの歳三は」とあるので、歳三が佐藤家に居たことがわかります。
最初はノブに言われて、手伝うようになったのかもしれません。
歳三は何をやっても器用です。

さて、一年間皆様方には大変お世話になりました。
資料館を運営出来ました事、感謝申し上げます。
どうぞ、良い年をお迎え下さいます様、お祈り申し上げます。
    佐藤福子、忠

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「名刀とは一度も実用されず、そのみごとな鍛え肌を目にしただけで世がおさまるほどのものをいうのです。   千代鶴是秀」

「明治生まれの鍛冶の名工の恐るべきことばである。それができるまでの工程に一点の無駄も曇りもない、そういう〝必然〟だけで作られており、他のありようなど考えられないからだ。たしかに人にもそういうことがある。あの人がそこにいるだけで、一言も口にせずとも混乱した場がおさまるような。土田昇著『職人の近代』から。」

これは、今日の朝日新聞、朝刊「折々のことば」に掲載された一文です。

なるほどと納得させられ、すぐに土方歳三の拝領刀、葵御紋の「越前康継」がまさにそれなのだと思いました。

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8月26日付、読売新聞の多摩版に小島政孝著「幕末群像伝・土方歳三」の
冊子出版が、紹介されました。




実はその著書、8月中旬に当家に送られてきており、「小島日記」「橋本家
日記」「両雄史傳」「両雄逸事」等、記録の中からの歳三のエピソードが綴
られています。

市村鉄之助のこと、歳三辞世の句の疑問も解決される内容となっております。
「多摩の豪農・小島家を巡る人々〜」のシリーズには、彦五郎も登場予定と
なっており、来年出版との事でした。

尚、電子書籍(TRC-ADEAC株式会社)にて、無料公開中です。


当資料館でも販売しております。
四六版・表紙から裏表紙まで含め64ページ・800円(税込)
※全国発送も可(送料等含め計1,000円)

◾️お問合せ 
メール:hiko56-shinsen★jcom.zaq.ne.jp(★を@に)
TEL: 042-581-0370 佐藤彦五郎新選組資料館

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昨年は岡山の『備前長船刀剣博物館』で行い、大盛況でした。
「来年は是非、愛知県の岡崎で・・・」とのお約束で
今年は岡崎城で行います。

佐藤彦五郎新選組資料館から土方歳三の愛刀「越前康継」の
刀身展示がございます。

また当資料館所蔵の土方歳三、沖田総司の書簡は、複製を新
選組のふるさと歴史館からお借りして、展示されます。

私も資料等の関係で前日入りし、オープニングに参加いたします。

会期:7月15日(土)〜10月1日(日)
   9:00〜17:00(最終16:30)
場所:岡崎城・三河武士のやかた家康館
入館料:大人(中学生以上)510円、小人(5歳以上)270円





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先般、産経新聞の企画記事「司馬作品を歩く〜夏〜燃えよ剣」と題し、歌舞伎役者の片岡愛之助さんが、旧・佐藤彦五郎邸(現・日野宿本陣)を訪れました。

これは、没後20年を迎えた司馬遼太郎さんの名作の舞台を、四季折々に著名人が訪ねるという企画で、土方歳三の姉の嫁ぎ先で新選組を物心両面で支えた名主、佐藤彦五郎の自宅を兼ねていた日野宿本陣を片岡愛之助さんが訪ねることとなり、日野市ガイドの会会長の芹川氏から説明を受けました。


(片岡愛之助さんと)

わたくしも末裔としてご紹介していただき、愛之助さんは、このような歴史ある屋敷のご子孫にお会いできて...こちらこそ光栄に存じます。
先月、当資料館で収録ロケを行った「片岡愛之助の解明!歴史捜査」の話も出ましたが、とても涼やかな目が印象的な方でした。


(お礼状とともに送られてきた産経新聞の一面)

記事にも、『玄関を上がってすぐの十畳間で、土方はよく昼寝をしていたという。愛之助さんが端然と座ると、現在ワンポーズだけ残る目元の涼やかな洋装姿の土方歳三の写真と重なってくる』...とあり、さらに
『敷地内にはかつての天然理心流の道場もあり、土方や近藤勇、沖田総司ら新選組の結成メンバーが剣術を磨いた。
「歴史がすごく身近に感じられて、ここで繰り広げられた光景を想像してしまう」
新選組が生まれた地を実感したと愛之助さんは言う』...と続きます。


(中面見開き記事)


司馬遼太郎さんは、1962年、「燃えよ剣」を執筆するにあたり、父に取材にお出でになりました。
日野宿本陣(旧 佐藤彦五郎邸・父母の代まで暮らしていた)の前で撮った、司馬遼太郎さんと父の写真がありますが、父を取材に来られた時のものです。


(司馬さんと父、彦五郎邸の前で)

父は司馬さんを自宅の父の書斎に招き入れ、ウイスキーを飲みながら、土方歳三や新選組の話をしました。
この時、父は「不許他見」(佐藤家代々に書き残したもので、他人に見せてはならぬ)と表紙にある彦五郎の長男、佐藤俊宣が書き残した「今昔備忘記」をこっそり司馬さんに見せてしまいました。
その中に、市村鉄之助が佐藤家に来たときのことが詳しく記載されていました。
司馬さんにとっては、これは!と思えた記述だったことでしょう。
「燃えよ剣」に市村鉄之助のことが盛り込まれました。
これによって、「市村鉄之助」という名前が初めて世にでることになりましたが、司馬さんとの楽しく過ごした時間によって生まれたエピソードです。

司馬さんは、父に会ったときのことを、あとがきに残しています。
『歳三の姉の曾孫が当主なっている佐藤家は日野の甲州街道ぞいにある。
当主は、「維新後は、肩身のせまい思いをした、と祖母がいっていました」
と微笑したが、その容貌が、写真で歳三の顔にもっとも似ていた。
「眼もとの涼しい顔で、役者のようだった、といいます」・・・』


(司馬遼太郎さんの名刺)


(贈呈の初版・燃えよ剣と写真)

「司馬遼太郎展」が来年、全国各地を巡回するそうです。

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翌15日、「プレス発表があるので、説明に来てください」とのことで、今日は電車で刀剣博物館まで行きました。
長船駅までは岡山駅から赤穂線を利用します。

赤穂線は1時間に2本間隔で電車が出ておりますが、長船駅まで約30分ほどで到着します。
駅から刀剣博物館まではタクシーです。土日祝はシャトルバスが出るかもしれません。

到着すると、博物館関係の方、市の広報の方、山陽新聞社、デザイン会社の方等々お会い致しました。



いよいよ明日からのオープンですが、本日も長倉氏ご夫妻がお出でになり、昨日見学出来なかった1階展示室も見る事が出来ました。


(土方歳三の佩刀「康継」。この連休中、大変な人気だったそうです)


この日はどうしても閑谷学校を見学したかったため、電車で行こうとしたところ、奥様が「一緒に車で行きましょう」とおっしゃって下さり、またまた一日お付き合い頂きました。

時間も昼近くになり、閑谷近く、イタリアンレストラン「レ・マーニ」(車でないと行かれません)で昼食。
このレストラン、田舎に突如ヨーロッパのお城が出現!
結婚式場、教会あり、野外劇場あり、地ビールあり!敷地もとても広くて驚きのレストランでした。(レ・マーニ 検索してみてください)






昼食後、念願の閑谷学校へ・・・感動致しました。
長倉氏はここは何度もお仕事で訪れているので、お詳しく、椿の森を案内下さりました。
素晴らしい森で異空間を体感致しました。







このように二日間、長倉氏のお世話になり、さぞやお疲れになられた事と存じます。
本当にありがとうございました。

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7月14日(木)



当資料館所蔵の『越前康継』を「是非、展示したい」と備前長船刀剣博物館からの依頼があり、見学も兼ねて岡山へ行って参りました。

康継は葵御紋が契られた徳川の拝領刀ですが、和泉守兼定が佐藤家にあった頃も康継のほうを大事にしていた記録が残っております。
また刀身の茎には2度の試切りが彫られていますが、試切りとは、将軍の佩刀を死刑人の体を斬って刀の利純を試すもので、大名や旗本等も山田浅右衛門に試斬りを依頼しておりました。要するに試斬りがされるとは、一級の刀である証しとなります。

今回は越前康継に加え、当館所蔵の土方歳三の書簡も展示の意向があり、そのレプリカを新選組のふるさと歴史館からお借りし、持参する為、長女も同行致しました。

事前に岡山在住の長倉達郎氏と連絡しあった上、岡山駅まで迎えに来て頂き、先ずは大切な資料を長船刀剣博物館へ納めることと致しました。
長倉氏の運転で小一時間ほどで到着いたしましたが、本当に助かりました。

博物館では展示の真っ最中でしたが、その場で刀を改め、書簡と共に展示くださいました。
薄桜鬼・土方歳三のパネルの前に康継と兼定、土方書簡は迫力ある展示となっております。


(展示された歳三の佩刀と書簡。前は同行した長女)

その後、長倉氏の案内で、あさくらゆう氏によって発見された、安富才助さんのお墓に連れていっていただきました。
お墓参りでは歳三の子孫として手を合わせ、御礼をお伝えしました。
安富才助さんは箱館戦争後、彦五郎を訪れ、土方歳三戦死の状況報告していただきましたが、それを書き取ったメモ書は、歳三戦死の状況を伝える貴重な資料として、当資料館に展示しております。
(あさくら氏、よく発見くださいました!)


(側面には“安富才助夫婦之墓”と彫られています)

侍屋敷・安富牧場ではアイスクリームでひと息いれ、岡山駅まで送っていただきました。
長時間の運転、本当にありがとうございました。

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