「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
![]() |
![]() |
![]() |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
古文書を調べておりました処、彦五郎の身長についての記述がございました。
それによりますと『身の丈が五尺六寸余り』ということでした。 五尺六寸は現在のメートル法でいうと、 『約169cm』 余りがついているので、170cmくらいかも知れません。 これには一寸ビックリいたしました。 それは、以前、どなたかに 「彦五郎さんはそんなに背は高くなかったんだよ」 と伺ったことがあり、 それに拠って、155cmくらいと思い込んでおりました。 また、高下駄を履いた彦五郎肖像写真の印象も、小柄な感じだったからです。 しかし、そうではなかったということです。 さらに身長を記した文書に加えて、区長を務めていた頃の彦五郎の写真を見つけました。 区長たちの集合写真で、明治初期のものです。 それを見ると、その中でも背が高いほうでした。 これで、彦五郎があの長い太刀を愛用していた所以にも、合点がいきます。 歳三が167cmくらいと云われておりますので 2〜3cm程高いということになります。 また近藤勇は170cm前後という話しです。 もしそうだとすると、彦五郎と同じくらいだったのでしょう。 私の中での彦五郎のイメージが少し変わってきました。 だって、思っていたより15cm程、背が高かったのですから。 PR |
|
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
日々、時間を作って佐藤家に代々伝わる古文書類を調査しておりました処、日野の八坂神社の神輿等の再建された際に納められた佐藤俊正(彦五郎)がしたためた祝詞の写しが出てまいりました。
慶応元年、牛頭天王社(日野八坂神社は普門寺の混淆で、日野図書館裏にあった)の神輿が、近隣町村との軋轢が生じたことによって、破壊されてしまいました。 その後、武州一揆、戊辰の役等により、再建されませんでした。 明治元年には、神仏混淆禁止令が出され、翌2年に八坂神社と改め、本陣(彦五郎邸)の向い側、日野図書館裏から、現在の場所に移されたようです。 明治3年、彦五郎の長男・俊宣(当時21歳)が発起人となり(彦五郎は戊辰戦争に関わっていた為、一時的に長男を表舞台に出したと考えられる)、神輿、お仮屋神輿庫等の新建計画が出されますが、漸く完成したのが、10年の歳月が流れてのことでした。 再建された際の彦五郎の祝詞には、明治13年9月15日の日付けが記されておりました。 大変立派な文字と素晴らしい文でございます。 この度、日野宿本陣の向いにある日野図書館のご好意で、釈文付きの原寸大の印刷にして頂きました。 今年の9月、八坂神社のお祭りに合わせて、公開できればと思っております。 |
|
![]() |
|
![]() |
カレンダー
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[06/04 筒井陽一]
[06/04 永倉新八]
[04/16 杉本]
[12/14 Jun Amanto]
[11/28 霍瀟かくしょう]
[07/05 霍瀟かくしょう]
[05/20 鉄砲の妻N]
最新記事
(07/21)
(07/20)
(04/23)
(04/22)
(03/16)
(02/20)
(02/14)
(01/30)
最新TB
プロフィール
HN:
fukuko
性別:
女性
ブログ内検索
最古記事
(07/06)
(09/11)
(09/28)
(04/15)
(05/03)
(05/08)
(05/15)
(07/01)
カウンター
アクセス解析