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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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旅の二日目は、ガイドの白鳥様に組んでいただいたスケジュールで、松前、江差の歳三の足跡を巡っていきます。

10時にホテルにお迎えくださり出発となりましたが、主人が二股口に行きたいとのリクエストをお伝えしたところ、今回のコースに入れると二股口が夕方以降になってしまうため、先に回った方がいいだろうとの判断で、予定コースを急遽替えての史跡めぐりとなりました。
わがままにも対応していただき、有り難い限りです。

二股口に行く途中、北斗市の市渡というところですが、そこでは土方隊ゆかりの場所、二カ所を訪れました。
最初に車を降りたのが、土方隊野戦病院跡地です。


現在は草と木の処に看板が立っています。

次は、土方隊が二股口戦で作戦会議を開いた川濯神社。


川濯神社の参道。大きな木が何本かありますがが、当時のものが残っていると思われます。
石の鳥居には、安政六年三月の文字が彫ってあります。


本堂は階段を上がったところにあります。


歳三はこの境内から隊士たちに士気を鼓舞したのでしょうか。
白鳥さんは「ここに立った歳三さんが見下ろした景色でしょう」と言われました。



川濯神社の長い参道には赤い鳥居、石の鳥居があります。

次に向かったのが、二股口です。
車は国道227号線を江差方面に向かいましたが、二股口は知らないと通り過ぎてしまいそうなところにありました。


二股口古戦場の案内が建っていました。


奥へ奥へと進んでいきます。


この立て札からは、山道、けもの道を登っていくことになります。


古戦場跡の小さな矢印看板が所々に建っています。


山道を登りましたが、底の厚い靴ではなかったので途中で断念。
白鳥さんは、この上で歳三が隊士たちに酒を振る舞ったとの説明がありました。


次は江差に向かいます。

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