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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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11月11日(火)
歳三文書が発見され、この日公開との事で、「本願寺史料研究所公開講座」に築地本願寺に行って参りました。

展示されていた文書は3点、写真が2点でした。
「諸事被仰出申渡留」は厚さ10cm程もあるとじ本で、大目付とあるので、大変ていねいな字で書かれているものでした。

9:30から親鸞聖人のお話しの後、11時から、お待たせの第2部「新選組 土方歳三のゆ・う・う・つ―新発見史料から―」大喜直彦師による講演会があり、 展示4点の文書の解説がありました。
定員200名のほとんどが、この講義目的と思われました。

新選組研究者の山村竜也氏、清水隆氏、日野市ガイドの会の方々、流山隊の方々、当資料館の倶楽部メンバーの方々とお顔なじみの面々もお揃いでした。

西本願寺の太鼓楼は、明治19年に島田魁さんがここで警備員していたという話をされていましたが、1階で生活をしていたとのことです。

明治22年、彦五郎の長男・佐藤俊宣が親戚の本田退庵とともに半年間に渡って旅をしましたが、そのことを綴った「西遊紀行」を残しております。
京都に行った際には、西本願寺の太鼓楼に於いて、島田魁と面会したことが書き記されておりますが、そこで暮らしていたことを聞いて、辻褄が合いました。

まだ文書は調査中とのことで、また公開がございましたらと期待しております。



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昨日、大國魂神社(六所宮)での奉賛会にて、「土方歳三と六所宮」の講演会をさせて頂きました。



皆さま、由緒ある方々を前に、光栄でございました。



折角の場所柄、六所宮にちなんだ話題を中心に調べた事を、お話しさせていただきました。

とても参考になった「本田覚庵日記」と「比留間七十郎日記」から、幻のたたみ13畳分の大奉納額について、新たな発見もございました。

講演後の親睦会では、猿渡宮司様、私と娘二人の母校である明星学苑の先輩方と同じテーブルでしたので、とても温かい気持ちでございました。



この講演会でお骨折り頂きました、府中を始め多くの店舗がございます創業120年の「青木屋」さんの社長様も明星卒でございます。

猿渡宮司様の計らいで、比留間ご子孫様おふたりと、松本楼のご子孫、近藤勇ご子孫等々、また大奉納額に書かれたご子孫の皆さま方にもお会いできました。

お話しているうちに、それはまるで時空を超えて、彦五郎、歳三が下りて来たような、不思議な感覚におちいりました。
タイムスリップしてしまったのかしら・・・
それは大きな感激でもありました。

この講演会を企画、実行していただいたご関係者、皆さま方に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

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明日、28日の日曜日は、大國魂神社(六所宮)で奉賛会の皆さま200名の前で講演会がございます。

「土方歳三と六所宮」の題目でお話しさせていただきます。

府中市とは縁が深く、
私は小学校から高校までの12年間、府中の私学に通っておりました。

その後は、子供の頃から志していた音楽の道に進みましたが
娘二人も、私と同じく府中に通っております。

幕末には
大国魂神社では近藤勇四代目襲名披露・野仕合が行われたり、天然理心流の奉納額等々・・・
また、彦五郎もよく所用で、府中に行ったようです。

府中・六所宮で講演をいたしますこと、ご縁を感じるとともに大変嬉しく存じます。

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先日、仙台へ行って参りました。

仙台といえば、土方歳三が仙台藩主・伊達慶邦に拝謁しますが、
その折、刀の下げ緒を拝領しました。
歳三にとっても、光栄な出来事だったことでしょう。

戊辰戦争終結後、沢忠助によって佐藤彦五郎のもとに届けられています。

現在、その下げ緒は、当資料館に展示されている歳三の愛刀、葵御紋の「越前康継」につけられています。

今回は仙台は後で廻ることにして、先ず松島に向かいました。
松島では、土方歳三、大鳥圭介などを始め、旧幕府軍約2,500名が次々と開陽丸に合流してきたところでもあるといわれています。

松島の観光では、双観山や瑞巌寺、天麟院、五大堂などを見学しましたが、
中でも瑞巌寺には驚きました。

瑞巌寺のそばの岩窟


残念ながら、本堂は改装工事中で入ることはできませんでしたが
庫裡、仮本堂には、本堂からの展示物が特別に見ることができました。
この中は「フラッシュ撮影禁止」となっていて、フラッシュ無しでの撮影は大丈夫でした。















次に向かったのが伊達政宗の正室の陽徳院御霊屋です。
そこに行く途中、きれいな苔が岩いっぱいに!



ここは特別公開の伊達政宗の正室の御霊屋です。

瑞巌寺から出ると、参道横にもたくさんの岩窟が続いて、そこには観音石像が祀ってありました。
こういう岩窟の中で、僧侶が修行していたのでしょうか。





松島といえば、牡蛎が有名です。
牡蛎は好きですが、夏なので期待はしていませんでしたが
美味しくてびっくりしました。



この後は、フェリーに乗って、松山遊覧です。

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6月20日は、歳三の新暦の命日です。

新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、
旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日は、新暦では、6月20日にあたります。
歳三の最期の時、また市村鉄之助が脱出したのもそんな季節だったので、
函館ならば、より肌で感じられることと思います。

歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待ちますが、出航したのが新暦の6月23日前後でしょうか。
中島登の記録には、市村鉄之助、行方不明とあります。

数日かけての航行で、6月末に横浜に着いていると思われます。
江戸の質屋に立ち寄ったという記録がございます。
それから身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、数日は要すると思います。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日といわれます。
やはり梅雨の時期なのですね。

旧暦と新暦、その年によって、多少の誤差が生じます。
例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。

歳三の命日は、江戸では梅雨の時期だった…なんて考えてみると、当時へ思いを馳せることができるのではないでしょうか。

旧暦と新暦を調べて、あの時は現在ではこんな季節だったのだな〜…なんて考えてみると、おもしろいものですね。

私は、歳三のすぐ上の姉、のぶの直系の子孫にあたりますが
弟思いだったのぶ。市村鉄之助から歳三の戦死を知らされた時のことを思うと、とても忍びないです。
歳三の冥福をお祈りいたします。

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歳三の横笛お箸入れセット、
ご好評をいただきまして、誠にありがとうございます。

お箸入れの江戸ちりめん袋の赤色が完売いたしました。
残りは黒色とベージュ色のみとなります。
新選組が活躍した年、
元治元年創業の町田絲店、老舗のものでございます。
残りわずかですので、お早めにお申し込みくださいませ。

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次の開館日、4月20日から
土方歳三の愛刀、葵御紋の「越前康継」刀身を展示いたします。
(展示期間4/20〜5/18)

是非、美しい波紋をご覧下さいませ。

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6月20日・・・
旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日は、新暦では、6月20日にあたります。

歳三の命を受け市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船内で出航を待ちますが、その中でごく限られた者によって歳三の戦死を知らされています。出航したのがその直後でしょうか。

数日かけての航行で、横浜に着いたようです。
江戸の質屋に立ち寄ったという記録がございます。
それから身を潜めながら佐藤家まで数日を要して来たものと思います。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日という説がありますが
聞きがき新選組にも、梅雨ぶりの中、乞食小僧が・・とあり、やはり梅雨の時期です。

旧暦と新暦、その年によって、多少の誤差が生じます。
例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。

歳三の命日は、江戸では梅雨の時期だった…と考えてみると、当時へ思いを馳せることができるのではないでしょうか。

旧暦と新暦とのズレを調べてみて、あの時は現在ではこんな季節だったのだな〜…なんて考えてみると、おもしろいものですね。

市村鉄之助の来訪時、小野路の橋本家に嫁いでいた彦五郎とのぶの長女・なみがお産のため、里帰りしておりました。
出産後何日かを経て、橋本家、その後小島家に歳三戦死のことが伝わったのではないかと思われます。

歳三の冥福をお祈りいたします。

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歳三が龍笛を演っていた事をご存知ですか?


【写真は土方歳三愛用の笛を吹く子孫の佐藤仁氏。背後は近藤勇の書】
 ※毎日新聞 昭和26年10月26日(金)の都下版より

数多くの掛軸の中から出てきた笛。その後文書を整理していたところ、上の新聞記事を発見した。

そば処「ちばい」の亭主・谷氏の発案から数年、ようやく箸入れが試作の段階までこぎ着けました。

当家に伝わる歳三愛用の龍笛をモチーフに、箸入れを限定で制作いたしました。
こだわりをもった本格的な作りです。
箸入れ本体は木製、ひとつひとつ職人さん手作業による削り出しです。
曰く、同じものは無い完全な一点物です。
色を龍笛そのままに蝋色、内側は朱色、染付けて拭き取り枯れた風合いを出しております。
箸は国産天然木使用、朱赤色に金の鳳凰柄を入れました。
袋は、ちりめん布製、真珠色の江戸打ちひもはふさ付きです。
全てが当館オリジナルの特注品です。
和服、コスプレの必須アイテムにも!




写真はサンプル。

限定予定数170本。完全予約制です。
4月21日(日)開館日にお渡しできるよう、制作を急いでおります。
先着順でご予約を承りますので、メールにて、ご住所、お名前を記してお申し込みください。
追って、詳細をお知らせいたします。
メールアドレス d-fab@m2.hinocatv.ne.jp
予定販売価格 4,500円
当資料館にて受渡しいたしますが、郵送も承ります。(別途送料がかかります)

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6月20日は、とても意義深い日です。

新暦に替わったのが、明治6年元日からとなりますが、
旧暦の明治2年5月11日・歳三の命日は、新暦では、6月20日にあたります。

歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待ちますが、出航したのが新暦の6月23日前後でしょうか。

数日かけての航行で、6月末に横浜に着いたのではないでしょうか。
江戸の質屋に立ち寄ったという記録がございます。
それから身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、数日は要すると思います。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日という説があります。
やはり梅雨の時期なのですね。

旧暦と新暦、その年によって、多少の誤差が生じます。
例えば、歳三が生れた天保6年、この年の5月5日は、新暦で云うと5月31日となります。

歳三の命日は、江戸では梅雨の時期だった…なんて考えてみると、当時へ思いを馳せることができるのではないでしょうか。

旧暦と新暦を調べて、あの時は現在ではこんな季節だったのだな〜…なんて考えてみると、おもしろいものですね。

私は、歳三のすぐ上の姉、のぶの直系の子孫にあたりますが
弟思いだったのぶ。市村鉄之助から歳三の戦死を知らされた時のことを思うと、とても忍びないです。
歳三の冥福をお祈りいたします。

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