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  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
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本日午後3時すぎに、永倉新八さん直系ご子孫の杉村和紀さんが、新選組同好会会長のご案内で、当資料館に見学かたがた、お見えになりました。

永倉新八さんは、明治4年に結婚して杉村家の婿養子になり、その後、杉村義衛と改名しますが、「義を衛もる(まもる)」という意味で、「衛」は「試衛館」から取ったという説があります。

新選組幹部の直系のご子孫で、しかも4代目というと大変稀代な存在です。

日野に来られたのは、十年ぶりとのことですが、今回は3年前にご結婚されたとのこと、大変きれいな奥様がご同行されていました。

少し資料のご説明もさせていただきましたが、永倉新八が彦五郎に宛てた手紙をご説明したところ、大変感慨深くお聞きになられていたのが、とても印象的でした。

和紀さんは
「京都に行くという報告ですよね・・・明治9年、板橋の近藤勇墓碑の建てるに当たって、彦五郎さんにも資金面でご協力いただき・・・」と言われましたが、
それが縁で、永倉新八さんと彦五郎も親しくなった訳ですから、こうして子孫同士、お話しさせていただけるのも、先祖から受け継いだものが、脈々と繋がっているのだと感じました。



先般、日テレでオンエアされた「嵐にしやがれ」をご覧になったそうで、杏さんが永倉新八ファンということ等々、収録のお話しも楽しくさせていただきました。

帰り際、杏さんにも差し上げた「永倉新八書簡」のレプリカと同じものを、和紀さんに差し上げましたが、大変喜んでいただき、嬉しく存じます。



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佐藤彦五郎が、近藤勇宛に書いた手紙の下書きが二枚、
旧佐藤彦五郎家(現日野宿本陣)の、襖の下貼りから見つかりました。

一枚は、
七月に粕谷良循が京から戻ったので、いろいろと話を聞いたこと。
将軍が船で江戸城に入ること、
「飯倉『片町』明店より出火、増上寺裏四ツ辻当りえ火先」
と飯倉の大火を伝えています。


もう一枚は
病気等を理由に、帰郷した隊士ら三名を挙げ
「彼ら如き臆病者は、取るに足らぬゆえ、其随に」
と糾弾しています。

また
「尽忠報国は、折れず曲がらず、ただ泰然として弓竹の如し
 とにかく、御銘々のご身分、御羨ましき、朝夕、申し暮らし居て候」

と、新選組の在り方、活躍に、彦五郎自身も
共に活躍したい気持ちが伝わってきます。

彦五郎が、このように江戸や故郷のようすを伝えていることをみても、
近藤勇と密接に連絡を取っていたことが、窺えます。

新選組関連の書簡類は、京都では、殆どが処分された云われていますが、
手紙の下書きを、襖の下貼りに使ったからこそ、
当時の様子を知る事ができます。
意味のある偶然とその驚きを感じました。

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作家の越水利江子さん作「恋する新選組」のCDをお送りいただきました。
ありがとうございました。



【なんと「恋する新選組」シリーズ(角川つばさ文庫)からイメージソングが生まれました!
恋組の物語を読んだ人なら、あの時に感じた切なさや喜びがよみがえってくると思います。
まだ物語を知らないという方も、ぜひ聴いてみて下さいね。いまどきの女子のラブソングとしても楽しめます。こんなに素敵な曲を作って下さったMar-Bowさん、幸城まなみさん、長谷川すぐみさん、歌って下さった日南まゆきさん、ほうとうにありがとう!】

CD帯に載せた越水利江子さんの推薦文より





聴かせていただきましたが、どの曲もシングルになりそうないい曲です。

ぜひ、聴いてみてください。

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沖田総司の手紙、山南が死去したことを伝えているので、慶応元年3月に出したことが分かります。

それから「土方君初外両三人東下仕候」と土方歳三が三人で帰ってくることが記されています。



軌跡 Ⅱの解説では、「土方歳三に同行したのは、伊東甲子太郎と斎藤一であり、五十二名の隊員を獲得している」とあります。

ここで、沖田は「土方君」と書いていますが、これは尊称です。

現在「君(くん)」というと、小中学生同士や、目下のものに対することばのようにとられがちですが、これは戦後のことで、国会では現に議員を君づけで呼んでいます。

「土方くん」とか、「歳三くん」「歳くん」という呼び方をされて、子供のように呼ばれていたと思われがちですが、当時は尊称であって、そういう意味合いはないようです。

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当資料館で展示しております沖田総司の手紙。

沖田総司の手紙は、全部で7通あるということですが、彦五郎宛に2通送っています。

そのひとつが、最も有名な山南啓助の死を彦五郎に知らせる手紙であろうと思います。

下の画像で「沖田総司」の署名があり、その左には「佐 彦五郎 様」とあります。
佐藤の藤を抜いて書いていますが、これを欠字といいます。
(欠字とは身分の高い相手に手紙を出す場合、文字の一部を空白にして書く)とありますが、敬意を表す意味で使ったと思います。
日付は、三月二十一日となっています。

山南の死については、最後から6行目のところに「山南兄・・・」とあり、
最後は「・・・一寸申上」とついで乍ら、ちょっと申し上げますと
三行のみさらっと書いています。



また、日付も「26日死去・・・」とあり、
実際に亡くなった23日と異なっています。

なぜ日付を間違えたのでしょう。
沖田総司は山南啓助を兄のように慕っており
まさかこのような死を迎えようとは、思っていなかったのかも知れません。
または、山南の意向を汲み涙をのんでそうせざるを得なかったのか。

それだけ、山南の死は辛いことで、
日付を間違えたのではないかという説。

また葬儀の日と勘違いしたのでは?という説。

いろいろと云われていますが、
現在、解明されておりません。

これについては、後ほど書かかせていただきます。

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テレビ番組「武士ごはん」が
明日9月7日(日)午後1時55分~午後3時20分の放送されます。
新選組も取り上げられます。
全国ネット放送で局はテレビ朝日
関西ですと、朝日放送になります。

是非、ご覧くださいませ。

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9月3日(水)

朝刊各紙に、西本願寺の文書発見の記事が出ました。

『土方「屯所暑い」直談判』西本願寺 窮状の記録発見
『新選組駐屯、ちょっと迷惑』土方「狭くて暑い」と別部屋要求
『新選組の待遇改善を土方歳三が直談判』駐屯地の西本願寺に記録
等々、見出しがございましたが

壬生の屯所より、居住環境がよくなかったということでしょうか。
畳や風通しなども違ったのでしょう。

とにかく壬生の屯所が、手狭になったということでしょうから、
増えていく隊士たちを、纏めていこうとする歳三の心情が感じられます。
「大変無理なお願いで、誠々・・・」と。
一所懸命な姿が、私の心を切なく締め付けることがございます。

時々ノブのような気持ちになってしまいますが
脈々と流れ伝わっているせいかも知れません。

これからも新選組の史料が発見されるかも知れませんね。

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9月2日(火)

本日、西本願寺で、新選組の新発見史料に関する記者会見が、午後3時から行われるとの情報をいただきました。

明日の四大各紙朝刊に掲載されるとのことです。

壬生から西本願寺に屯所を移してから、歳三が西本願寺と交渉したことなど、お寺の記録が発見されたそうです。

実務面で、歳三が新選組を取り仕切っていたことが、伺われる史料かもしれません。

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昨夜10時、日テレの「嵐にしやがれ」で、当資料館が放映されました。

幕末ロマン課外授業で、もしも杏さんと嵐の皆さんが
新選組になったらというテーマで
先ず「日野宿本陣」、その後「佐藤彦五郎新選組資料館」で撮影ロケが行われました。
杏さんのご希望でもあったそうです。

女優の杏さんと嵐の皆様で迎えられ、資料の説明をさせていただきましたが
たいへん熱心に聞いてくださいました。

歴史、新選組に詳しい杏さんですので、刀を持っていただきましたが
彦五郎の太刀を持つ場面では、席を外されて、布を取りにいき口にくわえられました。
これは、刀身はとてもデリケートで、息がかからないようにとの配慮からですが
刀にも造詣の深い方と感心いたしました。

嵐の皆さんも、とても素敵な方々で
当日は皆さんのオーラで狭い館内がいっぱいになりました。

皆様、是非「佐藤彦五郎新選組資料館」にお出でくださいませ。

当日は猛暑でしたが、杏様、嵐の皆様、そしてロケのスタッフの皆様、本当にお疲れさまでした。
日野映像支援隊のS様を始め、スタッフの皆様、ありがとうございました。

※夏休み最後の31日(日)、臨時開館致します。

◆拍手して頂いた時、表示されるコメントは公開されず、返事の機能はございませんので、予めご了承くださいませ。

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先日、新選組隊士・中島登、直系のご子孫である中島大成様と奥様が、八王子の先祖のお墓参りで、当家に立ち寄られました。

中島登の生誕の地は八王子市西寺方町で、生誕の碑がございます。
中島大成様は、五反田の本立寺でご住職をされています。

中島さまには、立ち寄られる度に素敵なものをいただき、申し訳ない思いです。

新選組隊士の直系ご子孫となると、なかなかおられませんが、よく知られているところでは、永倉新八ご子孫の杉村和紀氏、杉村悦郎氏。斉藤一ご子孫の藤田氏が直系のご子孫となります。

何年か前でしたか、当家で、ご子孫や新選組関係の古い名刺がたくさん出てまいりました。
司馬遼太郎氏、早乙女貢氏等の作家の方や、齋藤一ご子孫、伊東甲子太郎ご子孫、中島登直系ご子孫の中島節也氏、そしてなんと、中島登ご子孫が同じ名前の「中島登」のお名刺も!

以前、大成様に伺ったところ、「のぼり」とお読みするのではなく、「のぼる」とお読みするそうです。

中島大成様には、昨年の彦五郎忌で講演をしていただきましたが、お話がお上手で、戦士姿絵などの資料も充実して、参加された皆様には大変ご好評でした。
お話からも滲み出ておりましたが、大変素敵な方です。

今年の総司忌にも講演され、私も参加いたしましたが、ご本人曰く、彦五郎忌の7〜8割の出来で残念だったそうです。

またこれからもご講演を楽しみにしております。

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