忍者ブログ
  「佐藤彦五郎と土方歳三の姉ノブ直系子孫」が運営する資料館ブログです。佐藤彦五郎新選組資料館HPが替わりました。新しいHPはリンクから。またはこちらへ http://sato-hikogorou.jimdo.com/
Admin*Write*Comment
[9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




杜の都・仙台というと、緑豊かな神社のある城下町のイメージがございます。
たしかに緑が多いという実感がありました。

有名どころでは、伊達政宗像、仙台城(青葉城)、広瀬川、東北大学というところでしょうか。

土方歳三も北上の途中、この地を踏んでおりますが、
山南啓助は、陸奥国仙台藩出身という説があり、
天保4年仙台藩江戸蔵屋敷に勤める仙台藩士山南某の次男として生まれ、文武両道にして北辰一刀流、千葉周作の門人で免許を取るまでに至ったという、永倉新八等の話が残されています。

仙台でも「山南」を「やまなみ」という呼び方はないそうですが、「サンナン」と日野宿の人たちは呼んでいました。
本人も「三南」や「三男」と署名していることから、「サンナン」であったのだろうと思います。

さて、そんな仙台ですが、 るーぷるバスという、仙台市内中心部の観光スポットを巡るレトロ調なバスがあります。
どこからでも乗り降り自由で乗り放題という便利なバスです。

一日乗車券を購入して、 仙台の魅力を味わうべく出発しました。


最初に訪れたのが、伊達政宗公の霊廟「瑞鳳殿」。
伊達正宗の遺言によって、没後、第二代藩主・伊達忠宗この場所に埋葬されたそうです。
すこし小高い丘のような場所にあるので、長い坂道や階段を登っていきますが、途中、無料貸し出しの杖がありました。


伊達家の家紋といえば「竹に雀」の紋ですが、豊臣秀吉から拝領したという十六葉菊紋も使われていたようです。
明治以降、菊の御紋は天皇家のみの紋になったそうです。







この豪華絢爛な廟の地下に伊達政宗が眠っています。
日光東照宮のような凝った細工が美しい建築物ですが、国宝指定だった当時の建物は昭和20年7月の空襲で焼失してしまい、現存するのは昭和54年に再建されたものだそうです。

瑞鳳殿資料館では副葬品、遺骨調査資料、遺骨を元に復元された三藩主の姿像が展示されています。また館内の一画では発掘調査の模様を上映していました。

瑞鳳殿の坂道の途中に瑞鳳寺がありますが、「鹿児島県人7人の墓」の看板がありました。

ここには、西南戦争で敗れた西郷軍が、国事犯として全国の監獄に護送され、ここ仙台にも305人が収容されましたが、その中の13名が病死し、6名が遺族に引き取られ、残る7人が埋葬されていますという説明がありました。

七士が眠る墓。


次に向かった仙台市博物館は、仙台城三の丸跡に昭和36年に開館。昭和26年に仙台伊達家から寄贈された資料、約1000点が展示されています。



仙台城趾へ。

仙台城趾からの市内。当時、城から城下町が一望できたのでしょう。

将軍家康より25歳下の正宗は、従順を示すため、 あえて天守閣は設けなかったそうです。
ここには、あの有名な伊達政宗騎馬像があります。


伊達政宗というと独眼竜のイメージがありますが、本人の遺言により像や肖像画には両目が入れられているそうです。この騎馬像もしかり。

この騎馬像辺りが、土方歳三が伊達慶邦に拝謁した所なんですね。

杜の都・仙台も素敵なところでした。

拍手[9回]

PR



特別展「佐久間象山と横浜」は7月6日を以て、終了いたしましたが
7月5日(土)、主人と二女と共に行って参りました。
6月中、レクチャーの行なわれる日には、予定が入ってしまい、都合がつきませんでした。



横浜市歴史博物館の入り口で、
偶然にも、福子倶楽部会員のおふたりが
見学後、丁度入れ違いに出てきたところでした。


学芸員のフロアレクチャー(14:00の回)を受け、
象山について、勉強させていただきました。

当資料館からも、佐久間象山の書を貸し出ししましたが
それは、象山が新選組屯所を訪れ、
近藤勇、土方歳三との三人の酒の席で書いた、二幅の書のひとつです。

歳三が隊士募集で日野・佐藤家に戻った折、置いていったもので
もう一幅は、歳三が小島家に持っていったものです。

新選組と象山との関わりでは、その話もされていました。
今回、ご説明された学芸員の方は、
象山の掛け軸の貸し出し時、いろいろとお話ししていた方でした。
分かりやすい解説、ありがとうございました。


学芸員の方と

拍手[12回]




奥入瀬渓流をあとにして、十和田湖へ。

十和田湖は三沢の小川原湖とは違い、観光地化されていて、
湖畔のホテルや食事処が多く点在していました。
青森では、カッコーの声をよく耳にします。

「ここで昼食にしましょう」と言われ
お蕎麦を食べましたが、コシがあってとても美味しくいただきました。

湖畔では遊覧船やボートもあり、透明度も高くきれいな湖という印象です。



遊歩道を少し行くと、詩人で彫刻家でもある高村光太郎の「乙女の像」があります。
これは、光太郎の愛妻、「智恵子抄」でも知られる智恵子を造ったもので、傑作と云われています。


下から見上げて均整がとれて見えるよう、像は上のほうがボリュームがあるように作られたと桑嶋氏。


ここは記念写真のポイントで、団体客の日付入り写真用の場所もありました。


溶岩でできた恵比寿大黒島


十和田湖からは、帰路、新幹線の八戸駅に向かって所々立ち寄ります。


途中の五戸町には、新選組三番隊長・齋藤一の住居跡がありました。


会津藩士らが居住したところに齋藤一夫妻の住居があったそうです。

明治6年から7年頃までで、1年ほどで東京に移ったということです。


最後に立ち寄ったのが、五戸町歴史みらいパークで、
その中の五戸代官所というところです。




この門は文久年間に建てられたものを修復したということです。




代官所は当時のものかと思いましたが、案内板によると、復元されたものだそうです。

解説には、代官所という建物は大きくりっぱなものではなく、そのへんの大庄屋の屋敷に比べると劣るような建物であったとあります。


傍には与謝野鉄幹と与謝野晶子の碑もありました。



同じ園内には、YS-11機の生みの親、木村秀正博士記念コーナー「木村秀政ホール」を併設した、とても大きな図書館があります。



図書館内に展示されていた絵は、桑嶋氏の甥御さんが描いたものなのだそうです。


「日々」高奥昌幸・作

スケジュール通り、本日の見学も無事終わり、八戸駅まで送っていただきました。

この2日間、桑嶋氏には大変お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。
また、今日一日、桑嶋氏と共にご案内いただきましたドライバーの大塚氏にも感謝申し上げます。
ずっと運転されていたので、大変お疲れかと存じます。
ありがとうございました。

三沢市長を始め、観光協会、先人記念館、寺山修司記念館、市関係の皆様、大変お世話になりました。
ありがとうございました。

またお会いできる日を楽しみにしております。

ブログ『in my life』でも青森の話が書いてあります。

拍手[12回]




翌日は、十和田湖方面への観光です。

8時20分にロビーに行くと、既に桑嶋氏はお待ちくださっていました。
今日はドライバーの大塚氏とおふたりでの案内です。
ドライバーの方は、結構若そうな方でした。

早速、本日の見学予定表をいただきましたが、
最初、近くの古牧温泉・青森屋に立ち寄って、ねぶた等を見学いたしました。
広大な敷地のリゾート施設みたいなところです。





さて、真ん中に川(用水路)が流れている道を十和田湖方面に向かいます。
こちらではこの時期、ハナミズキやツツジなども咲いているんですね。


青森県は文字通り青い森が多くて、緑が広がっています。

かなりの距離を走ったでしょうか、
1時間以上かけ、山を登って着いたところには、八甲田連峰の景勝地「睡蓮沼」があります。



今日は爽やかなよい天気で、八甲田連峰はよく見えました。
昨日は曇りだったそうで、盛岡からいらしたご夫婦が
写真を撮るために、わざわざ今日もここまで来たそうです。

このあと、お茶でも飲んで休憩にしましょうと
車で20分ほど行ったところは奥入瀬渓流ホテルのラウンジ・森の神話です。


大窓には緑がいっぱいに広がって、一幅の絵のようなその大きさには圧倒されます。




ゆったりとしたラウンジで緑を眺めながらのお茶は、至福のひとときでした。

このあとは景勝地、奥入瀬渓流を案内していただきました。
渓流沿いに遊歩道、一般道が続いていて、名所のポイントごとに車を止めて散策いたしました。


カッコウの声


阿修羅の流れ


銚子大滝では水しぶきも

奥入瀬渓流は十和田湖の子の口から流れはじめ、14kmもあるそうです。
ちょうど新緑の時期で、緑の中の渓流、自然の美しさを堪能いたしました。
紅葉の季節はまた絶景だそうですよ。

このあとの十和田湖から帰りまでは、次のブログでお伝えいたします。

拍手[9回]




「先人記念館」のあと、次に訪れた「寺山修司記念館」は
私の希望もあり、取り入れていただいた所で、念願でもありました。

到着しますと、柴犬がひとり歩きしていて「ワンちゃん」を呼びましたが、振り向きながらも飼い主のところへ向かっていきました。
その飼い主が、寺山修司氏の従兄弟にあたる寺山幸四郎さんということで、ビックリ!
桑嶋氏は「幸四郎さんにお会いできるなんて、ずごくラッキーですよ」と言われました。


◆寺山幸四郎氏と一緒に



外観からしてとても素敵なのですが、入館すると寺山ワールドが広がっていました。
夢が叶ったと同時に、期待を裏切らない記念館です。
館長自らご説明していただきましたが、アイデアが盛り沢山で感心しきりでした。

寺山修司氏、横尾忠則氏らが創設した「天井桟敷」ですが
横尾忠則氏も大好きで、ポスター等何点もが展示されていたことも嬉しい限りです。


◆丁寧にご説明をする佐々木館長は、元天井桟敷メンバーだそうです。

スケジュールの都合もあって、20分ほどで次に移動となりましたが、建物、内容、空気、鳥のさえずりまでも感動的で、改めて一日かけてゆっくり来てみたいと思いました。




その晩は懇親会をご用意していただいているとのことで、桑嶋氏がお迎えに来てくださいました。
観光協会関係の方々10数名の皆さんと、地元の美味しい料理をいただきながら、楽しく歓談することができ、素敵なひとときを過ごさせていただきました。
ありがとうございました。

翌日は、奥入瀬渓流や十和田湖、八甲田方面の見学がございましたが、
次のブログでお伝えいたします。

拍手[8回]




市長表敬訪問のあと、観光協会の桑嶋氏が三沢市を案内してくださいました。

2011年3月11日の東日本大震災では、三沢の海岸にも7メートルの津波が押し寄せたと話されました。今、海岸沿いの多くは更地になっています。


◆桟橋部分がカナダまで流されたそうです。

実際にその場に行って目の当たりにしないと分からないということをいつも感じます。

十和田湖より大きい小川原湖という湖畔を車は走りましたが、ちょうどヤマセといわれる濃霧が海からやってきて、とても幻想的な雰囲気でした。
それほど観光地化されていないようで、自然の湖の姿を堪能できるのではないでしょうか。

遠浅のため夏季は湖水浴場もあったり、近くには最近できたのでしょうか?きれいなオートキャンプ場などもありました。

次に向かったのが「三沢市 先人記念館」



ここでは、学芸員の吉田氏からご説明をしていただきました。
廣澤安任については、ほとんど知らなかったのですが、大人物だったことが分かりました。

現在の青森県を作った人物、 洋式牧場の創始者で「日本近代畜産の父」と云われた人ですが、
新選組とも関わりのあり、安任日記には新選組のことも書いてあるそうです。

会津藩士で松平容保公とともに上洛、八月十八日の政変、禁門の変などにも大きく貢献し、歴史に残る大きな出来事にもかかわっていたようです。

少年時は藩校日新館で学び優秀な成績を修め、日新館推薦で江戸の「昌平黌」へ入学、ここでも首席であったそうです。

福沢諭吉、大久保利通、渋沢栄一、アーネストサトウ、勝海舟らとの関わりがありますが、
明治天皇青森行幸の際、随行した大久保利通からは、明治政府の重要ポストを要請されたが「野あって国家に尽くす」と固辞し、畜産、酪農に生涯をささげたのです。
現在、バター、チーズ、ソーセージなどを最初に手がけた方であるということです。

大河ドラマ「新選組!」や「八重の桜」にも、廣澤安任が登場したそうですが、目立った扱いはされなかったようです。

この記念館には、近藤勇に関わる刀も展示されていました。



「新選組と廣澤安任」は無名の幕末偉人・廣澤安任を知っていただけるとてもよい企画展ではないでしょうか。

次は寺山修司記念館に向かいます。車窓からは米軍基地が見えますが、東京の横田基地とオーバーラップいたします。
三沢市といえば米軍基地というイメージを持たれる方は多いと思います。
ここは米軍基地専用の湖水浴場があったりとその規模はどれほどでしょう。

次に訪れた「寺山修司記念館」については次回に・・・

拍手[9回]




6月26日(木)

以前にも当ブログにてお知らせ致しましたが
青森県三沢市の「三沢市先人記念館」に於いて
7月8日から「新選組と廣澤安任(やすとう)」という特別企画展が始まります。

当資料館からは、新選組の資料を画像データを提供しておりましたが、
今回、当資料館所蔵資料「彦五郎に宛てた近藤周斎の書簡」が展示されることとなりました。

三沢市観光協会からご招待を受け、文書資料を携えて
26日〜27日一泊二日で行って参りました。

新幹線八戸駅からは青い森鉄道に乗り換えて、4駅目が三沢駅です。



到着しますと、観光協会事務局長の桑嶋氏がお車でお出迎えくださいました。

桑嶋氏を始め関係者の皆様は新選組は勿論のこと、彦五郎のことも充分ご理解しておられ、単なる新選組支援者ではないこと等、それには頭の下がる思いでした。

観光協会では、この二日間のスケジュールを組んで下さっており、
先ず、三沢市長・種市氏を表敬訪問いたしました。

前々から、わたくしが寺山修司ファンであることをお伝えしてありましたが
市役所までの道すがら、寺山修司住居跡がここですよと教えていただきました。
寺山修司記念館もスケジュールに入れて頂いているとのことで
有難く、大変楽しみでございます。

市役所に到着いたしますと、関係者の方々にお出迎えいただきました。

市長室に案内され、市長の種市氏が迎えてくださいましたが、「青森テレビ」の報道、新聞社等のマスコミの取材も入りました。


お持ちした文書をお見せしながら歓談となりましたが、大らかな市長で気さくにお話ししていただき、大変光栄なことでございました。

その後玄関ロビーで、青森テレビ等の取材があり、6時のニュースで流れるとのことですが
見られないため、後日、DVDを送っていただけるとのことでした。



このあとは東日本大震災の爪痕が残る海岸、先人記念館を見学させていただきましたが
それは次のブログでお伝えします。

拍手[8回]




6月22日(日)

総司忌に行って参りました。
生憎の雨の中の墓参となりました。

午後からの講演会は中島大成氏です。

昨年の彦五郎忌では、3時間以上の大熱演となりまして、
さぞお疲れだったことと存じますが、
今回は大出氏より「1時間半くらいで・・・」とのご注文だったそうです。

そんなこともあって、少しスピードを上げての貴重なお話しでした。


また、ご子息お二人もスクリーン映像等にお手伝いなさってました。


函館戦争軍艦図の掛け軸

最後はやはり戦友姿絵の絵巻です。
本物は中島家が函館博物館に寄贈してしまいましたが、
これは本物と寸分違わない精巧なレプリカです。



長いものですので、開くことも巻き戻すことも大変だと思いますが
皆様、ご堪能されたことと存じます。

会場では伊東成郎氏からは「歴史街道、新選組と池田屋事件」書籍をいただきました。
ありがとうございました。
結城しはやさん、菊地明氏、山村竜也氏、釣洋一氏、流山隊の松下氏他、200名以上の講演会となりました。

拍手[7回]




青森県三沢市にございます「三沢市先人記念館」に於きまして
「新選組と廣澤安任」という特別企画展がございます。
当資料館も協力させていただきました。



開催期間は7月8日(火)〜11月24日(月)
9:00〜17:00 ※11月は16時まで

第一部
「京都守護職時代の新選組と廣澤安任」
7月8日(火)〜9月15日(月)
第二部
「戊辰戦争と新選組の消長」
9月20日(土)〜11月24日(月)

休館日
7/14、8/25〜29、9/1・8・16〜19・22・19、
10/6・14・20・27、11/4・10・17

入館料
高校生以上 300円 小・中学生 50円 幼児以下無料

皆様、是非足をお運びくださいませ。

拍手[6回]




先日、青森県から、
観光協会事務局長さん、観光物産課長さん、学芸員の皆様方が
ご訪問されました。

資料貸出の件で、打合せをするためですが
皆様、大変熱心に資料について話し合いをされました。

その中で、近藤周斎が彦五郎に宛てた書簡
京都に行って戻らない勇を説得してほしい旨の
手紙に、大変興味を持たれていました。

年老いた周斎にとっては、試衛館の跡取りがいなければ
どうにもならず、周斎本人は病に伏していること(実は病気ではない)を述べ
4名連名で彦五郎に頼み込んでいるのですが
彦五郎と勇の間では、もう了承済みだったのでしょう。
勇は大きな野望を持ってしまっているので
帰ることもできずにいる訳です。

そんなこともあって、彦五郎は試衛館を資金面の援助と
勇の代理の師範代を世話したのです。



詳細が分かりましたら、改めてご報告させていただきます。


拍手[5回]



カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
[06/04 筒井陽一]
[06/04 永倉新八]
[04/16 杉本]
[12/14 Jun Amanto]
[11/28 霍瀟かくしょう]
[07/05 霍瀟かくしょう]
[05/20 鉄砲の妻N]
最新TB
プロフィール
HN:
fukuko
性別:
女性
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
Copyright ©   佐藤彦五郎新選組資料館日記『福子だより』 All Rights Reserved.
photo by RHETORIC material by Atelier Black/White Template by Kaie
忍者ブログ [PR]